メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2014-7-31 7:48 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 51 大工道具に革命の到来 (鋸、その2) 替刃式鋸は、玉鳥産業の(レザーソー)が先ず、普及し、つづいて、岡田産業の(Zソー)中屋式鋸と、その他の鋸メーカーも、さまざまの鋸分野に替刃式という、交換するだけで目立て修理を必要としない鋸に構造革命に成功しました。 鋸鍛冶職人が伝統技術でハガネを2枚重ね打ち鍛造し焼き入れをして、銑で鋸板を薄く引き、歪を取り、目立て職人がヤスリで刃形にすり込み、アサリ槌で刃を右、左と交互に出すアサリ出しをして、仕上げの精密ヤスリで刃を立て、手作業の鋸を完成して来た伝統技術の将来に危機がやってきたのです。そして、先々、鋸鍛冶、目立て職人の仕事は激減し廃業の時代がやって来ることになります。 羽生の町にも、斎藤鋸店、岩崎鋸店と3軒の目立て修理をする店が当時はありましたが、便利を求める競争社会の中で、鋸製造精密機械の開発によって、千年以上も続いて来た製法の伝統技術が消えて行くのは、寂しいものです。 手鋸両刃鋸の目立てをする時は、鋸万力、目立てヤスリ、アサリ槌、金床、歪取り槌などを使用します、参考写真を添付します。・・・ |
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