メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2014-7-23 6:29 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 49 (初めての外商で学んだこと) 不調であった、行田での二徳万能販売り込みであったが、諦めず、加須市、館林市の水道工事店をを探しながら、訪問販売を続けました。水道工事店ばかりでなく、土建屋さんにも売り込みを広げてみました。業者の応対はさまざまで、多くが冷ややかで次の所へ次の所へと地図を頼りに歩きました。数か月に亘る、二徳万能の販売数は100丁に満たず、独自の販売では、限界となりました。収支もマイナスの状態であり、ひとまず、休むこととしました。 しかし、数か月の間に出会って、好意的に評価して買ってくれた水道工事屋さん,土建屋さんとの出会いは、外商の不調を、次のステップのバネにしてくれました。 館林の水道やさんの中には、仲間を紹介してくれた人が数人おりました。リピーターになってくれた人もおりました。お茶をのみなねぇーと世間話しを交えてお客を顧客にして行くコツなどを教えてくれました。 当時の加須市、館林市の社長さんには「職人に固執するのではなく、物を買ってもらう商人として大きな人間になれよ」とハッパをかけられたのだろうと今でも感謝しております。 外商で体験した一期一会の応対は有難い感激、私はこの頃から、技術は技術として「お客さんの笑顔が見える仕事を目指そう」と思うのでした。 |
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