メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
フラット表示 | 前のトピック | 次のトピック |
投稿者 | スレッド |
---|---|
編集者 | 投稿日時: 2012-4-26 8:19 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 28 第一次ものづくり時代 草加市の建設会社の鉄骨部門には、私よりも経験の長いベテランがおりました。(愛称)海老さんという親方は、20年の経験で、工場長という立場で、重量鉄骨の総合的な知識と技量を備えておりました。私にも親切に、指導してくれたので、助かりました。原寸引きから加工、現場組み立て、施工完了まで、急所急所のおさまりのコツを教えてくれました。おかげで半年で、重量鉄骨の加工から現場施工までを理解できるようになりました。 じょじょに加工をまかされるようになり、忙しい日々が続きました。昭和45年頃、大量消費時代を迎えた消費拡大の波に乗り、企業は増産のための設備投資が急ピッチで進められました。 私は、製造ラインの拡張の仕事で、草加、鳩ケ谷、川口、八潮、越谷、などにあった皮革工場、ソース工場、ビール工場、パン工場、製紙工場、印刷工場、鉄筋製鉄工場、鋳物工場、金網工場、などのラインの骨組の制作や補修等の仕事で現場制作をする機会が多くめぐってきました、そんなことで、生産を上げるためのスピードアップの現場を見ながら、高度経済成長の中で、私も、波に乗って仕事をしていたのかと今更ながら思っております。 消費の拡大は、増産のために工場増設を加速させ、物流、備蓄倉庫を必要とする経済波及効果を生むことになりました。そして、草加、越谷周辺の余裕ある農家の中には、300坪から600坪程の倉庫を建てて貸す人が出て来ました。越谷の農家で倉庫を建てていた時、3時休みに、よく、おせち料理に使うクワイをご馳走になったことが記憶にあります。 高度経済成長の時代を、今となって思うのですが、昭和40年代は、第一次ものづくり競争の時代ではなかったかと、私は感じております。 サラリーマンの給与も、毎年1万以上~2万前後のペースで上がり、趣味の分野にも皐月の盆栽が流行り、親方の海老さんを筆頭に、同僚も、私も皐月の盆栽に熱くなり、数万、数十万の、日光や、やたの鏡などの盆栽を求めて、栃木の鹿沼へ休日は、みんなで車を走らせたものです。皐月盆栽ブームは高度経済成長時代の日本人の忙しさの中に湧き起こった好景気の証しの一つとも云えるのではないでしょうか。 |
フラット表示 | 前のトピック | 次のトピック |
投稿するにはまず登録を | |