メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2012-4-7 8:40 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 27 軽量鉄骨から重量鉄骨へ 加須市の鉄骨建築会社での軽量鉄骨の加工から施工までの経験を積み、本格的な重量鉄骨を経験するために、昭和45年4月、草加市の個人経営の建設会社に転職しました。総合請負の建設会社で、重量鉄骨加工、鋼材の販売、金属スクラップ回収等をやっている会社です。従業員は20人足らずの会社ですが、元請けのため、土建、大工、板金、スレート、とび職, 電気、水道、排水工事、外壁、サッシ、タイル、左官、など多種の職人を傘下にして、総合的に鉄骨構造を軸とした、工場、倉庫, 店舗ビル、鉄骨住宅、工場内生産設備、等の仕事をしている会社です。 1500坪程の敷地に事務所、鋼材倉庫、門型、天井クレーン付きの鉄骨加工場、鋼材倉庫の2階は、広い原寸場となっておりました。 入社してまもなくの6月、社員旅行があり、社長一家、従業員の家族も無料招待の大阪万博見学を兼ねた、二泊三日の社員旅行に行くことになりました。好景気の波に乗って、世間の平均よりも高待遇の会社でありました。 草加、越谷、川口、浦和、を主な仕事エリアの中で、成長企業の設備拡大で重量鉄骨建築は、てんてこ舞いの忙しさでした。 私は、さまざまな業種の企業の施工現場で日本経済が拡大して行く姿を重量鉄骨建築を通して見ることができました。製鋼所、ビールメーカー、倉庫会社、食品加工会社、皮革加工会社、段ボール会社、製紙会社、部品下請け工場、パチンコ店、などなど、施工現場で多くの経験をして行く機会に恵まれました。 次回は、記憶にある、出来ごとを記して行きたいと思います。 |
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