メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2012-3-1 7:40 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 23 2度目の職 昭和43年6月、転職2度目の職に付きました。その職種は、鉄筋屋という、野帳場の仕事です。兄がこの仕事をしていたことから、1年間をめどに、手伝うということで、経験を積むことを含め、建設現場への通勤が始まりました。 当時は、高度成長の中で、公団の建設、高速道路、新幹線、高層オフィスビルの建設、などが目白押しで、建設されておりました。私が、初めて鉄筋配筋の仕事に付いたのは、当時の大宮市の地銀の本店建設現場でした。大手建設会社が元請けとなり、8階建ての鉄骨に、加工した鉄筋を結束線で縛り、コンクリートを打ち込む仮枠内に寸法通りに組み立てて行くのが鉄筋屋の仕事なのですが、建設現場には、日雇い感覚の職人が組を作って作業しておりました。高い日当を求めて、請負による多業種の職人が建設現場内で請負金額内で完了するために汗を流しておりました。 地銀の本店には、仲間の車で通っていたのですが、サニーとカローラがしのぎを削るマイカー通勤のはじまりの時代でもありました。私も車を持ちたい、そんな欲が出たのか、保証は無くとも、車を買うための高収入の鉄筋屋の仕事で都内の建設現場を兄達の仲間と渡り歩きました。次回は電車通勤で都内現場へ通った様子などを記したいと思います。 |
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