メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-8-1 8:43 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 17 越前刃物 越前市には、ナイフビレッジという武生の鍛冶職人の共同作業場がある、公的援助によって出来た作業場は、観光スポットになっており、見学ができ、作品展示場もあって、即売もしている。武生はそれほど大きくない刃物産地であるが、今は、主に生産は工業団地内でナイフ、庖丁、山林刃物等が製造されている、平成になって産地は縮小の傾向にあるが戦後の昭和時代には鍛冶職人も多くいて盛んに鎌などが造られていた。 武生には、小さな鍛冶屋、問屋が多かったせいか、播州や三条の大問屋が、武生の問屋に売り込んだという、昔からの慣習で、県外産地のメーカーと大問屋が、武生の問屋組合に売り込む時は、問屋達を料亭、旅館に招き、持て成しをして、そのあと、商談に入ったのだと昭和40年、50年頃の慣例取引の話しを問屋から聞かされました。 武生は眼鏡フレームで有名な鯖江と合併して越前市になりましたが、焼サバのおいしい所で、刃物に関しても、小規模産地になったのですが、佐治武士氏のナイフは有名です。また、2メートルほどの、まぐろ解体庖丁を造る清水制作所は貴重な存在となっております。 私が、武生へ行ったのは、平成11年のことですが、その後、庖丁類で新しい鋼素材で、挑戦する職人が居て、頼もしいところがあります。 それに加えて、私の店に昭和60年から、毎月、関東地区を電車を乗り継ぎ、数十軒のお得意回りをして、重いカバンを持って、夜行列車に乗り、夜行列車で武生に帰る問屋の根気強さと経費節約姿勢には、「たいしたもんだ」の褒めことばを贈りたいほどの、営業の基本を見習うところを感じます。 問屋業の厳しさ=小売業の消滅、この現実の中で、技術を身に付けることが出来たことに、感謝の思いで火の鉄に向き合って行きたいと思います。 |
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