メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-7-29 7:35 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 16 播州の刃物 私が、播州小野市、三木市の刃物と深く関係を持つようになったのは、昭和52年からです、問屋を通じて、播州鎌、握りハサミ、大工道具、を扱うようになり、兵庫県小野市、三木市も訪れるようになり、周辺の鍛冶屋事情を知ることになりました。その中でも昭和40年~50年代の播州の鎌は、日本でも、信州鎌、山形の三九郎鎌、越前鎌と競い、日本一の生産の座を守っておりました。播州の鎌鍛冶は、農家の副業としてやっていた人が多かったのですが、手打ちの鎌を造る職人は年々減る一方で、昭和50年代には数十人いた鎌職人も平成の今日に於いては、プレス抜き物鎌に圧され、鍛造手打ちの鎌職人は、私の知るところでは数人になってしまいました。 「材質、火造り温度、鍛造、焼き入れ温度、焼き戻し温度時間、角度、反り、刃付け、バランス、等によって決まる鎌の切れ味」これから先、人の手が加わった手打ち鎌を造る鎌職人は、産地以外も含めて、日本全土で、数人になるのではないかと推測されます。 しかし、播州には一部のメーカーで機械力による、鎌の製造に工夫が見られ、手打鍛造品には届かなくとも、その向上には賞賛するものがあります。 その他の播州刃物は機械力が進み、科学の力を取り入れて利器工具の進歩には凄い物があります。ただ、海外生産品が増加していることが、心配の種であります。 私も、羽生の鍛冶屋から、埼玉の鍛冶屋へとエリアを広げ、刃物店、刃物修理を通して、「お客さんの笑顔が見える仕事を目指す」これをモットーに時代のニーズに合せた変身をして行かなければと、64歳の飛躍をしょうとしております。 つぎは、越前に行くことにしましょう。 |
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