メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-7-7 7:15 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 本田 裕 14 三条の刃物・1 三条と云えば金物、金物と云えば三条と云うくらい、新潟県三条は、金物、刃物、工具等の産地として全国の人々に広く知られているところであります。 日本には、鍛冶職人が伝統を継承している産地があります。 プロ用洋包丁、ステンレスハサミ、庖丁等の産地として岐阜県の関市、 刺身庖丁などの和庖丁の名工職人の居る大阪府堺市、 大工道具、園芸刃物、利器工具等の兵庫県三木市、 小野市は、鎌、握りはさみ等の産地です このほか、庖丁、ナイフ、山林刃物等の福井県の武生(越前市)、ナタ、斧、庖丁などの高知県の土佐山田町、 信州鎌の長野県の信濃町古間、 剪定鋏、鎌等の山形市であります。 そして、東京は明治15年、ラシャ切鋏の発祥の地であり、吉田弥吉の系図を引く、ハサミ職人が平成になっても伝統を守っておりますが、 昭和50年代までは、名工と云われるハサミ職人が10数社に居て、全国の繊維加工作業者に愛用されておりました。 このほか、日本には産地形成の中ではなく、単独工場で、刃物等を製造している メーカーが周辺の他県にも数多く存在しております。 それでは、日本の産地における鍛冶屋事情として、先ず、三条地域から、語りたいと思います。 私が、昭和52年、「羽生の鍛冶屋」刃物店を開業してから、問屋筋との関係ができ、三条、与板周辺、の鍛冶屋の歴史を学ぶ機会ができました。 昭和30年代、40年代の成長期も、三条を中核とした、燕、与板、月潟地区においては、鑿、鉋、鋸などの大工道具、食器道具、手工具、建築金物、盆栽刃物、農具、鎌、ハサミ、庖丁・・・と文明の利器が、鍛冶職人や製造作業者によって、日本の殆どの家庭、工場、農家向けに生産され、それを、大小、400社前後の金物問屋の営業マンが全国の金物店に営業に出かけて行ったのであります。 東京オリンピックを契機に、高度成長時代に向かって、ホームセンターの進出が始まった昭和47年頃から、個人技の鍛冶屋と大量販売に向けての工場機械生産品との販売競争が始まることになるのであります。さて、三条の鍛冶屋さん達はどうなっていくのでしょう。 つづきは、次回と致します。 |
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