メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-6-2 7:47 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋 12 本田 裕 四里の道は長かった。で始まる、田山花袋の小説、田舎教師の舞台になった町が羽生であります。 私の店、羽生の鍛冶屋は、田舎教師の主人公が眠る菩提寺、建福寺山門前にあります。 昔にさかのぼりますが、戦後間もない羽生の町は、田舎そのものの家並みで、野鍛冶の殆どが住居の土間を仕事場にして、コークスを燃やして、二人作業の人力で、真っ赤な鉄を叩いておりました。 私のところから、歩いて1分のところには、足袋底を抜く金型を造る鍛冶屋があって、 小学生の頃から、私は、よく、おやじさん達の仕事を興味深く見ておりました。その鍛冶屋さんも、昭和30年頃、別な場所に引っ越し鉄骨屋に転業して、今は、良くできた息子さんが、鉄骨建設業の二代目として、頑張っておられます。 また、前回、お話しをしましたが、羽生には、野鍛冶から、転業して日本の乾燥機メーカーになった企業がありますが、もう一軒、金物店に転業して、多角的に、自動車部品加工や、ホームセンターを始めたりした商才、豊かな、鍛冶屋さんもおりました。今は、お孫さんが、インターネットを活用して、ペット関連の大きな事業を展開しております。 世の中の移り変わりを見ながら、仕事をしていた鍛冶屋さんは、転業を決断して、事業として成功して行ったのですが、職人気質のまま、仕事にしがみ付いていた鍛冶屋さんは、機械化の波に圧されて、鍛冶屋の灯を消して行ったのでした。 次回は埼玉近隣の鍛冶屋のお話しをしたいと思います。お楽しみに。 |
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