メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-4-16 7:38 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋・10 本田 裕 集団就職 ところで「集団就職」ですが、お客さんで、昭和40年頃、従業員40人程の縫製工場に就職した人がおりまして、先日、当時のお話しを伺うことが出来ました。 以下の取材内容です [社長が宮城出身であることから、同郷からの人が多かった。途中で辞めて宮城へ帰った同僚もいたけれど、私は、辛抱して、ミシンの技術を一生懸命身に付けた。社長が、家族同様に私達を大切にしてくれた。成人式に着物を作ってもらった、羽生に縁あって、結婚する時も、社長が、嫁入り道具を買ってくれた。会社は、もうやってないけれど、私が青春時代過ごした、工場の一部と住まいは残っているので、今は、実家に行くようなつもりで、私と同年代の倅さんや娘さんと兄弟のような気持で、お付き合いをしている。私は、小さな、集団就職だったけど、社長さん達にミシンの技術を教わり、それが、10年前まで、生活の糧に役だった。今は、孫を連れて、実家と想うくらい、社長の家に遊びにいくのが、楽しみで、しあわせである]と語っておりました。 この方は、現役の時は、働き者で、腕がよく、だから、私が、鍛冶屋の火を灯してから、ハサミを扱うようになり、東京の名工の造った最高級の裁ちバサミと三条にいた、小バサミ職人の手打ちの製品を何丁も買ってもらいました。 |
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