メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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sumidagawa60 | 投稿日時: 2010-4-14 20:17 |
登録日: 2008-4-29 居住地: 埼玉県羽生市 投稿: 57 |
Re: 集団就職列車の時代について 「上野は、おいらのこころの駅だ・・・♪」に代表される原風景について。一言、三言。
町の古老からの聞き語りです。 当時は、羽生も縫製屋さんが景気が良く、どこの会社も商店も人出不足。人材を求めて、総務課長さんは、東北の中学校を歩きまわり、今でいう、逆就活です。 そして、採用された子供たちが集団列車に乗って、上野駅に着く頃、出迎えに出て、旗を振って、そのまま、東武電車に乗せて、羽生まで、延べ何千人という女子を連れ来て、作業場でミシン掛の仕事を覚えてもらって、商売をこなした時代が懐かしいとのことです。 そうして、東北から出てきた、子供たちは、夜は会社が経営する 裁縫学院で、行儀見習いをして、大人になって、町の青年のところに、お嫁にいった子もあれば、途中で、東京に憧れて、夜の街の女性になった方もあるとか。悲喜こもごも、人生いろいろです。 現代版、女工哀史かもしれませんが、間違いなく言えることは、そういう子供たちが、来るべき日本の高度成長時代の原動力となったことは間違いありません。 |
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