メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-4-7 8:04 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋・8 本田 裕 初めての給与 昭和36年4月1日、私は企業が技能者を養成するために設立した、技能訓練所へ2期生として、同期の30名と共に入社しました。 一般入社と違い、生産活動をしないために、会社は、3年間で、一人あたり、当時の金で300万の訓練教育費を掛けたようです。 4月1日に入社式を行い、訓練センターでの、本格的な授業と、基礎訓練が始まりました。 ヤスリ掛け作業とハンマー打ちの訓練、初めて回した旋盤、毎日、毎日基礎訓練が続きました。一ヶ月も経たないうちに、左手の親指と人さし指は腫れあがり、右手の掌は血豆と共に皮がはがれて、茶碗も箸も満足に、もてないほどでした。 厳しい訓練が始まって、無我夢中の4月28日に、担任の先生から、印刷された茶封筒が渡されました。「手当」と書いてありました。 社会に出て初めて頂いた給与です。1年生は6千円、2年生は、7千円、3年生は8千円が給与に当たる手当でした。 そして、私が、4月に手にした、初めての手当、給与は、家に帰ってから開けて見ました。「3925円」入っておりました。 封筒の中から取り出し、貧乏の仲間入りをした、わが家のことを考えると食いぶちとして、2000円、おふくろに渡しました。 |
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