メイン 実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期) 羽生の鍛冶屋 本田 裕 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2010-3-26 11:32 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
羽生の鍛冶屋・その4 本田 裕 銀メダルに喜んだ父 私の父親は鍛冶屋を継がずに上京して、大学の学問の道に進みましたが、それなりの、事情や縁があって、昭和の初めに、田舎町、羽生に住むようになりました。縁あって、羽生の農家の生まれの母親と一緒になって、羽生町で暮らすようになりました。 当時は世界大恐慌で仕事もなく、大変な時代であったようです。刀や兜、荒物などの商売をしていたようですが、商売は下手で、うまくいかなかったようです。 もともと、読み書きに長けていた父親は、町の旦那社長に見込まれ、繊維関係の会社の総務等を任され、収入もなんとか安定して9人の子供を養うことが出来たようです。 私は昭和20年生まれなので、戦争のことは、知らないのですが、当時は地域をまとめるほどの雷の如く、おっかない存在であったようです。 家の中でも、私が小さい頃は、兄たちが、よく、怒鳴られていたことを覚えております、内面は悪い反面、外面は良く、町や、県や、国の頼まれ任務をしたり、いろいろな立場の人たちと交遊しておりました。そういうことでしたから、母親の苦労は、語るまでもありません。 そんな父は、病気で昭和41年に63歳の若さで亡くなりました。 私の前では見せなかったのですが、後に、父の友人が線香をあげに来た時に、「(裕)が、銀メダルを取ったと、自慢げに褒めていた」ことを父の友人から聞かされました。 そんな親父の息子が、それから、10年後に「8代目鍛冶屋」の火を灯すことになるのです。 |
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