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   実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期)
     自分誌 鵜川道子
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投稿者 スレッド
編集者
投稿日時: 2009-4-19 7:29
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
自分誌 鵜川道子・23

 娘夫婦が幸せな結婚生活が出来て孫達の可愛い顔を毎日眺め乍らの生活が出来ればいいのではないかと自分に言い聞かせ乍らまだまだ残っている仕事の為に朝早く酒々井から江戸川えと通勤する日々が続いていた。
 習志野から通勤している頃とは大分違って時間的な問題を意識せざるを得なかったがどんなに忙がしくても愛犬チーコの朝の散歩、食事や化粧の時間、入浴や通勤の身支度などと毎朝限られた時間の中で全てをこなし京成酒々井の駅までバイクを走らせるのである。駐車場にバイクを置いて七時〇八分の電車に乗り 佐倉で特急に乗り替える。船橋で下車する迄三十五分位は快よく睡眠をとるのである。
 朝の入浴は私の唯一の健康法で夏は大変さわやかで冬は一日体が温まって一日中気持ちよく送れることが嬉しかった。家からバイクで走るのだが朝の入浴のお蔭で一日のやる気を充分に起させてくれ仕事が楽しく仲間とのコミュニケーションを大切に出来る元になっていた様な気がしていた。
 京成舟橋駅でJRに乗り替えて新小岩で下車天気さえよければ体のことを考えて四つ目のバス停留所を尻目に江戸川区役所まで早足で歩いていた。これも私の健康には大いに役立っていたと思う。
 しかし元々眼の弱い私は五十七才で白内障の障状が表われ初めて来た。
 右目は幼い頃に視力を失っていた為、左片方だけの視力が頼みの綱であったので医師に相談、なるべく早いうちに手術をした方がよいとのこと五十八才で手術をしたのである。経過はすばらしく良好で思いがけない程快復がよく感謝な生活が戻って来た。
 幼ない頃よりコンプレックスを持って生活していた私の気持ちが一変して少しづヽ友人もふえて楽しい日々を過すことが出来るようになって行ったようだ眼帯を外した時の感動は今でも忘れることが出来ない。
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