メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2015-11-26 7:57 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び 10 ハゼやボラ釣り 荒川放水路でハゼやボラ釣り 1953年 描き残したい昭和 「広大な水辺、荒川放水路」昭和28年(1953年)四ツ木橋の下流の荒川放水路河川敷は、本流から流れ込む支流の小川が縦横に広がっていた。セイゴ、ボラ、クチボシ、マルタ、ハゼ、タナゴ。魚があふれていた。四手網。これが脅威。小網で水辺を弄る僕らにとって四手網の効率が憎らしい。支流を離れて本流に行ってハゼやボラ釣りをする。餌はミミズかゴカイ。荒川は関東ロームを運んできた泥の川なので河川敷は泥。川の水も粘土色。多摩川のように石はなかった。泥を掘るとゴカイやイソメがいた。竿は述べ竿。もっとも簡単な仕掛けでどんどんハゼが釣れた。ジャムとバターを塗ってはさんだコッペパンを大正通りのパン屋フジパンで買う。20円だった。こんなうまいものがあるかというほどおいしいもので、ゴカイ臭い手を川で洗ってパンをほおばる昼が楽しみだった。一日中魚取りに熱中した。釣った魚は家に持ち帰って晩のおかずになった。今の荒川放水路はどうなっているだろう。 |
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