メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 電気通信大学藤沢分校物語 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2016-12-29 16:09 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
電気通信大学藤沢分校物語(10)5 湘南遊歩道の建設(注1101) 「神奈川県が気候温暖、風光明媚をうたい文句に神奈川県湘南海岸公園計画を立案して、東京の緑地地帯としての湘南の地域開発に取り組んだのは、昭和初期のことである。その構想の中心事業となったのが湘南遊歩道であった。 この道路は、片瀬龍口寺から大磯町郵便局に至る延長16・7キロで、車道(幅12m)のほかに、乗馬道(幅7.5m)を設け、両側に歩道と植樹帯を設置するという本格的な「逍遥道」であった。 道路は昭和5年に着工され、昭和11年に相模川の湘南大橋の完成によって全面開通し、海岸地域の開発の動脈として機能していくこととなった。 さらに神奈川県は昭和9年に湘南海岸一帯の総合的な都市計画を樹立した。計画は①仏都鎌倉を中心とした国際観光都市の建設、②藤沢以西に広がる湘南海岸公園の建設、③大磯丘陵の高麗山公園の建設の3本柱からなっていた。 藤沢町もこの計画の一環として、都市計画法の適用を受けることとなり、保養都市の保存と観光施設の整備などに力を入れた。昭和11年に至り、4年後のオリンピックの東京開催が決定すると、海岸地帯には外人客目当てのホテルの建設ラッシュとなった。選手村の招致や、湘南遊歩道の舗装、県営プールの建設なども計画され、海岸地帯は開発に湧いたのである。」 その湘南遊歩道は藤沢分教場に面していた。 |
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