メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 電気通信大学藤沢分校物語 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2015-7-27 6:19 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
電気通信大学藤沢分校物語(9) 4 9・4藤沢市内軍事関連施設
戦時下の藤沢に存在した軍事関係の施設(注97)に関する記載の抜粋である。尚、文中の「横須賀海軍」を「横海」と略した。また筆者は、引用した地図(9-4)に施設の位置を番号で、軍事工場に名称を加筆した。⑪の辻堂兵舎の実際の所在地は、茅ヶ崎市である。 ①横海施設部藤沢施設事務所 ②第一海軍燃料廠藤沢分工場 ③第一海軍衣糧廠辻堂支廠 ④横海電測学校 ⑤横海警備隊防空見張所 片瀬・六会 ⑥横海特別陸戦船隊砲台 片瀬・江ノ島 ⑦第20連合航空隊司令部 ⑧第20連合藤澤海軍航空隊 ⑨横海通信隊六会分遣隊通信隊送信所 ⑩横須賀海兵団辻堂兵舎 ⑪横須賀海兵団辻堂演習場 このうち無線関連の施設は3ヶ所(④⑧⑨)である。またこれらの全ての施設は敗戦とともに消滅、瓦解した。 ④電測学校‥遅々として進まないレーダー・逆探の開発に対して、その技術研究を推進するために、艦政本部隷下の技術研究所と海軍航空本部隷下の空技庁支庁を統合し、海軍省外局の海軍電波本部が1944年発足した。研究者の拡大と同時に、艦船・地上基地のレーダー技術者の養成を意図し、同年9月1日に開かれた。藤沢には藤沢海軍航空隊が6月に開隊されており、藤沢空との連携が図れると考えた。(注98) ⑧藤沢海軍航空隊‥無線兵器(戦闘機電話・電波探信桟)整備員養成を目的として開隊された教育隊で、殆どは開隊前に教える理論が正しいか実験を行ったり、教科書を作ったりして開隊の準備を進めていた士官・下士官である。第一期の入隊は、1944年6月第14期甲種飛行予科練習生の400名、その後最大1万名に及ぶ兵士が練習生として教育を受けている。(注99) 地図には官立無線電信講習所の名が見える。 六会送信所、海軍電測学校、藤沢航空隊、無線電信講習所が、揃って1941年(昭19)に開設された事実は海軍と藤沢市との深い関係を示すものである。 次回は無線電信講習所の建設を中心に述べる。 (以下次号) 注91‥藤沢市教育史 通史編 近代 注92‥図説ふじさわの歴史 注93‥現在の藤沢 注94‥演習場チガサキ・ビーチ 注95‥ウィキぺディア「横須賀海軍砲術学校辻堂演習場」 注96‥郷土史家大石静雄氏所蔵 注97‥「戦時下藤沢の軍事施設」 注98‥ウィキぺディア「海軍電測学校」 注99‥「藤沢海軍航空隊研究」 |
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