メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 電気通信大学藤沢分校物語 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2015-2-13 14:35 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
電気通信大学藤沢分校物語 (5) 3 4.5 講習所業務の引継ぎ(注54)待望の官立無線電信講習所はいよいよ 4月 1日から新しく発足する事となった。この朝( 3月 28日)事務引継ぎの為、電信協会側から若宮会長及杉、宮崎両理事、逓信省側から中村所長事務取扱、隅野電務局無線課長等出席、先ず官立設置の祝福を交換した後、事務引継ぎとなった。引継ぎは物件や書類だけではない、生きた人間の身柄が主体であるところに学校の引継ぎらしいところがある。偶々学年期である為大多数の生徒は巣立った後でもあり引継ぎ学生数としては 736名であったが、別に新入学生として選定済みの者を加えると引継ぎ合計 1,930名の多数で専属教員数は合計60名であった。全ての引継ぎが終わると中村所長は正門に至り、寺島大臣が揮毫せられた墨痕新しき「官立無線電信講習所」の表札を掲げた。 4.6施設一切の寄付願の提出と感謝状(注55) 3月 28日臨時総会終了後、午後 5時若宮会長は杉、宮崎両理事同伴、寺島逓信大臣を官邸に訪ねて、臨時総会の決議に依る無線電信講習所施設一切の寄付願を提出した。官邸では寺島大臣以下列席し、之を受領せられ、丁重なる挨拶があり、尚大臣からは会長及び両理事に対し、次の感謝状と共に心を込められた記念品を贈与せられた。 感謝状(その1) 君は大正 7年 9月 25日社団法人電信協会理事に就任すると共に無線通信士養成機関設立の事に従い画策宜しきを得て同会管理無線電信講習所の創立を見たり。次いで大正 13年 5月 4日同会会長に就任し、爾来二十有四年の長きに亘り終始一貫奉仕的精神を以って国家に須要(筆者注:どうしても必要なこと)なる無線通信士の養成事業に盡瘁(筆者注ジンスイ:自分の事はかまわず全力を尽くす事)し、其の間幾多の困難に遭遇するも克く之を突破して鋭意施設の整備拡充と所風の刷新向上とに努めたり、又時代の要求を察知して政府の方針に即応し常に施策の適切な実施を誤らず、特に支那事変勃発以来無線通信士の需給急激に逼迫を告げるや寝食を忘れて養成人員の増加充実の措置に奔走し為に克く斯界の養成に応え得たるのみならず、今次大東亜戦争に於ける陸、海、空各般の重要なる無線通信の遂行上遺憾なきを得たるは、偏に君が献身的努力の賜物にして其の功績洵に大なり。今般社団法人電信協会管理無線電信講習所を政府へ移譲せられるに際し、君が多年の功労に対し茲に深甚なる感謝を表す。 昭和17年3月28日 逓信大臣従三位勲一等 寺島 健 社団法人電信協会 会長 若宮貞夫殿 (感謝状その 2以降省略) |
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