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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     「特攻」より 1
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投稿者 スレッド
編集者
投稿日時: 2014-8-7 6:13
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「特攻」より 5

 昭和20年1月31日、米軍部隊がマニラ湾のやや南のナスグブ沖に上陸準備を開始した時、ナスグブ北西40kmの基地から第15戦隊第2中隊長上野義現中尉(陸士56期)の指揮する1個中隊が、また、その南から戦隊の一部が出撃し、米軍船団泊地を攻撃したが、駆逐艦、哨戒艇等の警戒が厳しく、敵駆潜艇1隻を撃沈する戦果を上げたが、レ艇も大損害を受け、全員戦死した。2月2日から15日までの間、第15戦隊及び第16戦隊の残部が散発的な攻撃を繰り返し、また、第11戦隊もマニラ南方のテルナーテ地区から、一部の艇で攻撃したが、戦果は未確認であった。

 その後、米軍は、スブルーアンス海軍大将の率いる1500隻の艦艇と圧倒的な航空支援の下、第10軍司令官S・B・バックナー陸軍中将指揮の24万の上陸部隊をもって、昭和20年4月1日、沖縄本島西部の嘉手納海岸に上陸作戦を展開した。
 これに先立ち、米軍は本島西南地方の慶良問海峡は、米軍にとって洋上補給と艦艇修理のための格好の基地となるため、3月26日に慶良間列島の攻撃を開始した。同列島には、レ部隊の第1ないし第3戦隊が展開し、敵上陸部隊の泊地侵入後、その背面から攻撃する計画であったが、出撃の条件未完のまま不意の襲撃を受けた。
 その上、各海上挺進基地大隊は、沖縄本島から台湾に転用された第9師団の後詰め部隊となり、その一部を残置して主力は既に本島に転進しており、対上陸作戦能力は微弱になっていた。ここにおいて、第32軍は、作戦全般に及ぼす影響を顧慮し、3個戦隊に対し、レ艇の破棄を下令した。
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題名 投稿者 日時
   「特攻」より 1 編集者 2014-8-3 5:40
     「特攻」より 2 編集者 2014-8-4 7:34
     「特攻」より 3 編集者 2014-8-5 6:31
     「特攻」より 4 編集者 2014-8-6 6:36
   » 「特攻」より 5 編集者 2014-8-7 6:13
     「特攻」より 6 編集者 2014-8-9 6:16
     「特攻」より 7 編集者 2014-8-10 8:37
     「特攻」より 8 編集者 2014-8-11 6:07
     Re: 「特攻」より 1 写真 編集者 2014-8-12 6:47
     「特攻」より 1 写真2 編集者 2014-8-13 6:10

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