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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     始めて経験した空襲
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投稿者 スレッド
安房守
投稿日時: 2006-4-25 13:36
登録日: 2004-7-27
居住地:
投稿: 5
始めて経験した空襲
国民小学校2年生でした。
何時ものように仲間達と遊んでいると、
物凄い《ものすごい》爆音が聞こえ,
屋根を掠《かす》めるような低空で飛行機が飛んできました。
子供達は「万歳」「万歳」と叫んで、一斉に手を振りました。
飛行機が我々の頭上を通り過ぎ、
《はる》か向こうの工場の屋根の方に消えた途端、
ポカッポカッと煙が上がり、
ドカン!ドカン!と爆発音が響いてきました。
私達には何が何だか訳が判りませんでしたが、
何か恐ろしいことが起こった、だけは感じました。
大人たちが顔色を変えて右往左往しだしました。
本能的にでしょうか、みんな、足が諤諤《がくがく》震えだし、
塀にへばりついていました。

後で知ったのですが、これが米軍の最初の本土空襲でした。
消え去る機影、立ち昇る白煙、凄《すさ》まじい爆発音、
右往左往する人々、
勝利勝利に酔っていた子供達にとって、
衝撃的な忘れられない光景でした、

あれは川崎での経験でしたから、
爆撃を受けた工場は日本鋼管?かも知れません。
江戸っ子で威勢のいい母親は極めて臆病《おくびょう》で、
早々に田舎に疎開《そかい》しました。

戦後、何年かして、
お医者さんごっこをしたお友達が懐かしくて、川崎を訪ねましたが、
私の住んでいた家も、通った学校も有りませんでした。
無くなった学校の近くの学校へ行って、
同級生の消息を尋ねましたが何も判りませんでした。
その時、親身になって話を聞いてくれた先生が、
「何か判ったら知らせてあげます」と仰ってくれました。
後に、お手紙を戴きましたが、
渡田国民学校二年八組の全員が消息不明とのことでした。
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題名 投稿者 日時
 » 始めて経験した空襲 安房守 2006-4-25 13:36
     Re: 始めて経験した空襲 Pan 2006-4-25 19:42

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