メイン 大正の時代 大正から昭和初期の平壌の小学校 | 投稿するにはまず登録を |
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投稿者 | スレッド |
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自然 | 投稿日時: 2005-6-13 13:31 |
登録日: 2004-12-21 居住地: 横浜(福井) 投稿: 22 |
大正から昭和初期の平壌の小学校 「大正生まれ」で「昭和」四年に学童となる
生まれて半年も経たぬ秋 父の開教《かいきょう=海外で布教活動にあたる》新地の寺院へ母の 懐に抱かれて福井県の在 から遙々《はるばる》朝鮮に赴任したと言うと 西部劇の駅馬車語りめくが 否々! 既に平壌は都市化し 市電・水道・電話も 敷設され総督府《そうとくふ=植民地の役所》所在の京城に 次ぐ商工業都市となっていて かかる地への内地からの移住者は 都市生活に戸惑ったものだとの古老は語る 小学校入学時の装いは 学生帽・総皮のランドセール・紺サージのセーラーのダブル四つボタン の上着・半ズボン ・黒長 下 ・皮短靴の服装は 母の手の温もりと共に記憶に鮮やかである 内地人の小学校は市内に2校あり何れも千人に近い8学年の児童が学び校舎はレンガ建築2階建で 一階教室はぺーチカ 二階へはルーカス仕様の石炭暖房であつた それと中学一校が公設され 現地人のそれは小・中学と建築様式に差異無く 公・私立と内地人の倍以上に加え 専門 学校も所在した この地で成人し 続いて衛戍聯隊《えいじゅれんたい=軍隊が同じ所に長く置く部隊》に入営 終戦処理後ソビエト聯邦への 強制抑留《よくりゅう=留め置く》付きまで関わり いま「平成」の今日に至る波乱万丈?とまではいかなくとも それなりの人生 を過ごして居る 自 然 平壌図 |
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» 大正から昭和初期の平壌の小学校 | 自然 | 2005-6-13 13:31 |
Re: 大正から昭和初期の平壌の小学校 | リフレー | 2005-6-17 13:47 |
Re: 大正から昭和初期の平壌の小学校 | 自然 | 2005-6-18 12:45 |
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