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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     戦後七十年 河田 宏 1 みどりのかぜ<第39巻>より
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編集者
投稿日時: 2016-7-7 8:32
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
戦後七十年 河田 宏 1 みどりのかぜ<第39巻>より

 はじめに

 この記録のメロウ伝承館への掲載につきましは、
 投稿者のご了承をいただいております。

 メロウ伝承館スタッフ

―――――――――――――――――――――――

 みどりのかぜ<第39巻>より

 戦後七十年  河田 宏 (緑風会 会員)

 今年は戦後七十年。安倍総理の他人ごとのような声明は論ずるに価しないが、昭和二〇(二九四五)年の八月十五日を知っている年代の者には、それぞれの憶いの深い年である。
 一九四五年八月十五日、当然のことながら韓国の人たちも日本人とまったく違う思いで日本の敗戦を知った。この日、韓国は日本の植民地支配から解放されたのである。これで独立できる。国中に「萬歳!」の声が湧き上がった。

 独立の実感いまだ湧からざるに
  吾もつられて萬歳唱う
                 
 ソウル近郊の高等女学校教師・孫方妍(ソンバンヨン)はこのような和歌を詠んでいる。彼女はこのとき二一歳。

 私はそのとき中学三年生であった。前年の十二月に本郷千駄木から浦和に疎開して来て半年少したった時期である。王子の陸軍造兵廠に動員されていた。十五日正午、本部前に集合して玉音放送(天皇のラジオ放送)を聞かされた。よく聞きとれなかったが、戦争が終わったらしいことはわかった。解散すると泣いているグループもいたが、私はポカンとしていた。連日の空襲と新聞・ラジオで、戦局が非常に困難になっていることはわかっていたが、敗けるとは思っていなかった。敗けるという言葉を知らなかったのか、そういう考えがなかったように思える。
 その日の午後、空はどこまでも青く、道端の雑草の緑が輝いて見えたのを覚えている。そして
「しっかりしなくては、しっかりしなくては」と自分に言いきかせていた。いまだに心に残っているのは、その夜、浦和の街のあちこちの家に電灯が灯った光景である。戸毎の灯を見ていると、戦争は終わったのだという気持ちがこみあげてきた。だからといって嬉しくもなかった。ずっと戦争状態が続いていたので、平和とはどんなことかわからなかったのである。

 私の母の実家は上野松坂屋まえで書店を営んでいた。当然、三月十日の東京大空襲で焼け出された。ただ土蔵があったのでそこだけは焼け残り、伯父たちはそこで暮らしていた。そして終戦である。いや敗戦である。
 まだ暑かったから八月未か九月初旬であったと思う。本屋の伯父はもうバラックを建てて商売を始めていた。それが大繁盛であった。驚くなかれ、もう新刊本が出版されていたのだ。まずは『日米会話手帳』。敗戦の日から一カ月後に出版されている。四六半裁の手帳ほどの本だが、それこそ飛ぶように売れた。著者であり出版社(誠文堂新光社)社長である小川菊松は、敗戦の玉音放送に涙したその日の夜、この本の出版を思いついたという。戦時中に日本軍が中国に行く兵士に持たせた日支(日中)会話手帳の項目をそのまま東大の学生に三日で英訳させてこの本を作った。定価八十銭。印刷は焼け残った大日本印刷。年内四カ月で三五〇万部売れたという。
 十二月には鱒書房から森正蔵『旋風三十年』上下が出た。国民が真相を知らされていなかった満洲事変から敗戦までの経緯を、毎日新聞記者が手分けして書き、それを著者がまとめた本である。八〇万部売れた。国民は食に飢えていたが、活字にも飢えていた。昭和の戦争の真実が知りたかったのだ。
 講談社の大衆誌「キング」も復活した。真相はこうだという「真相」が発行された。戦争が終わってから四カ月間に二〇〇誌近くが発行されている。「改造」が復刊したのは年が明けてからであった。昭和二三年に「リーダーズ ダイジェスト」が発売された日には、開店を待って購読者が上野中通りから広小路までえんえんと並んでいた。とにかく戦争が終わってから伯父のバラック書店は大忙しであった。
 私はよく手伝いに行かされた。いまでいうアルバイトである。しかし店頭に並んだ雑誌を読んだ記憶はない。九月から学校に行っても教師の話はウワのそら。関心があったのはホモ・サピエンスに始まる人類の歴史だけであった。そして長文のレポートを書いた。これが文章らしきものを書いた最初である。そして本を読み始めた。昭和初期に出た改造社『現代日本文学全集』や新潮社『世界文学全集』そして『三太郎の日記』などなど、乱読した。当時中山道にあった古本屋で、買って読んでは売りを繰り返していた。夜を徹して読んでいたので、母は自分はあまり食べずに、いつも釜の底に雑炊を少し残しておいてくれた。当時食糧が払底して雑炊が常食であったが、釜の底の雑炊の味はいまも忘れられない。
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