メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 歌集巣鴨 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2009-9-6 8:18 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・55 委員 企画 高橋丹作 小林逸路 冬至堅太郎 各棟委員 鳥巣太郎 西田二夫 楢崎正彦 栗原吉生 横山公男 安達孝 寺田清蔵 (印刷兼務) 芳尾哲郎 冬至堅太郎 鈴木義輔 福岡千代吉 小林逸路 長谷川義男 今野逸郎 加藤三之輔 中村安蔵 谷本俊一 毎田一郎 各棟委員 大城戸三治 佐々木勇 田中徹 大神善次郎 刻 字 田中徹 木田達彦 田中勘五郎 扉 挿絵 小川義高 飛田時雄 星川森次郎 灘波門十男 あ と が き 本歌集は巣鴨在所者二一七名、外地服務者二名、出所者二三名及刑死者四五名、計二八七名の作品四三三一首中選者梨岡壽男、平尾健一、谷口武次三氏に依って一〇九八首を選定編輯之に辞世三七首を加へたものであります。当初刑死者の遺族、外地服務者及出所者の分をも廣く収載する企画でありましたが凡有る点に於いて自由を束縛された環境にありますためその範囲が限られることになりました。また紙面の都合上應募歌数も遺詠以外は各人二〇首に限定せざるを得なくなりました。従って多数の貴重な作品がこの集から漏れてゐることをお詫び致します。 選歌の方針として本歌集は成可く戦犯記録として價値あるものを採り他方短歌として秀作であってもそれとの関係薄きものは割愛するに余儀なきに至ってをります。更にこの歌集が完成するまでの企画、編輯、刻字、印刷等は労役以外の寸暇を盗んでなされ、剰へ資材の不足、印刷の困難等によって不十分な点が多く大方の御期待に沿ふことが出来なかったことは遺憾でありますが、幾多の困難に遇ひ乍らも漸く生れ出たものでありますから、却って私達の歌集としては相應しいものではないかと思はれます。 本歌集が六年間の忍苦の記録として大方の机上に永久に残り併せて戦犯となるものの実相の幾分なりとも世の人々に認識して頂くよすがともなれば、幸ひ之に過ぎるものはありません。 終りにこの企画に御賛同の方々より用紙及印刷材料を恵贈して頂いたことを厚く御礼申し上げます。 昭和二十六年十月 歌集編輯委員 高橋 丹作 小林 逸路 冬至 堅太郎 |
編集者 | 投稿日時: 2009-9-5 9:34 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・54 辞 世 野山わけ集めし兵士十余萬かへりてなれよ國の柱と 故山下 奉文 (マニラ) 限りなき彌陀の大慈の船なれば苦海の旅も安らかに行く 故森 國造 (マカッサル二首) 愚かなる吾にはあれど次の世に残し置かまし誠心の道 同 新世(あらたよ)を固めなすべき吾も今戦友(とも)を慕ひて亡き数に入る 故中山 伊作 (ビルマ八首) 身はたとへ南の果に朽つるとも七度生れて御國守らむ 故鼻野 忠雄 断頭の台に進みて君が世のいやさか祷れば心澄むめり 故松岡 憲郎 我が魂は永久に消えまじはらからと共に勵みて平和来むまで 故鈴木 喜代司 みすずかる信濃の春に咲く櫻花(はな)は散りてぞ清く思はるるなり 故柳沢 泉 澄みのぼる今宵の月を名残にて明日は散りゆく我身なりけり 故管野 保孝 新しき國のかためと散りてゆく我が道こそはけはしくもたのし 故東 登 我も亦なき数に入る名をとめて南の果に散るぞうれしき 故緑川 壽 甲斐男児われ沼南に朽つるとも魂永久(とこしえ)に祖國守らむ 故清水 辰夫 (シンガポール) 武夫の踏むべき道は多けれどこの犠牲と散るも道なり 故黒澤 次男 (上海) 殉國の血もてかざらむすめ國の今し新たにひらけゆく時 故平手 嘉一 (巣鴨二十三首) かねてより待ちつつありし母上のみ許にまいる今日のうれしさ 同 朝風になびくを見たし彼の土より平和日本の日の丸の旗 故福原 勲 髪と爪切りて法名頂きて我はゆくなり彌陀となへつつ 故菅原 亥重 先立ちしいとし妻子に語らなむ変りはてたる御國の姿 同 いざさらば今宵限りの命ぞと名残を惜む窓の月影 故土肥原 賢二 さすらひの身の浮雲も散りはてて眞如の月を仰ぐうれしさ 故板垣 征四郎 とこしへにわが國護る神々の御あとしたひてわれは逝くなり 同 うつし世はあとひとときのわれながら生死を越えし法のみ光 故木村 兵太郎 南(みんなみ)の島に死すべき我なりき今さらなどか命惜しまむ 故武藤 章 天地(あめつち)も人もうらまず一すぢに無畏を念じて安らけく逝く 故松井 石根 さらばいざ苔の下にてわれ待たむ大和島根に花かほるとき 故東條 英機 散る花も落つる木の實も心なしさそふはただに嵐のみかは 同 わが妹よ力落すなよろこびてゆきし夫の光をあゆめ 故穂積 正克 ひとやにて子のながらへを祈りつつ浪にただよふ妻子をぞ思う 故牟田 松吉 おのづから名号となへ道を往くああありがたや南無阿彌陀佛 故木村 保 こひしくばまことの道を辿り来よ我はまことのうちにこそ生く 故尾家 刢 極重罪悪凡夫の身が明日は佛となれる嬉しさよ 故川手 晴美 おんしうを大悲の風に吹き流し築け眞の楽土の世界 故高木 芳市 ふみ昇る絞首の台をゑがきみてたじろがぬわれ心うれしき 故頴川 幸生 御栄えをたたへて逝かむいざさらば天かける御靈のもとにまた会う日 故末松 一幹 御めぐみの深き御山をかきわけて神の御末に我列坐せむ 故都子野 順三 事しあらば静かに祈れ我がたまは祈りのうちに常にあるなり 故中島 祐雄 み民みな畏れつつしみ今の世の天の岩戸のその岩開け 故高橋 雷二 (北京) |
編集者 | 投稿日時: 2009-9-4 14:27 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・53 巣 鴨(その二) 高塀の彼方の監に人一人今夜(こよひ)を死ぬとしづもれるはや 伴 健雄 (岡田資氏) 梧桐(あおぎり)の稚葉(わかば)は風に躍れるに七たりの友逝かねばならず 谷本 俊一 あの窓の明り消えなば我が友の去り逝きますと夜な夜なに見る 橋本 欣五郎 花祭る今日を七人死に就くと老師のみ声杜絶えがちなる 中村 安蔵 佐渡おけさうたひ終りて新潟の四人の友ら死につきしとふ 鈴木 義輔 「皆さんさようなら」と闇に叫びてゆきしとふあたりに佇ちて友偲びをり 大島 紀正 照る月も血に染めとばかりにも絞首台辺絶叫聞ゆ 橋本 欣五郎 縛られて鉄扉に消えし幻影がしばらくあり刑場をつつむ夜霧に 大槻 隆 メフイストの哄笑奥に聞くごとし灰色の壁に耳を当つれば 井上 彦次郎 (刑場の門) 瞑(めつむ)れば時空のはてにこの廊を辿りし足音(あのと)聞ゆる如し 下田 千代士 刑場の道に窪める足跡をふかめて朝の雨は降りつぐ 佐々木 勇 今日もまたたそがれてゆく刑場の空を仰ぎて喪(な)き友思ふ 瀬山 忠幸 鎖されたる十三号の門近く露もしとどに茶の花咲けり 中川 泰治 刑場の扉の前にこぼれ種の水菜は伸びて花つけにけり 野口 悦司 こともなき金曜日かと思ほへば刑場の傍に咲く菊の花 布施田 金次郎 寂かに雪は降りつつ空重きたそがれ時を黒し絞首場 伴 健雄 昨夜の間を変りなきごと刑場のそばの菜の花黄に咲きゐつつ 長谷川 義男 刑場のかたへに咲ける鶏頭の妖しきまでに紅ゐは濃き 内田 五郎 心々とものをこそ思へ刑場の鉄扉にしみいる冬の夕光 山田 太一 刑場の草むしりやめたたずめば逝きし友らの声がきこゆる 山上 均 おづおづと鉄扉くぐりて立ちならぶ絞首台を見つつ息吞みゐたり 大城戸 三治 焼香の焚きがら淡く匂ひゐて囚友(とも)逝きし刑場今朝ひそかなり 岩沼 次男 心堪へて登りしならむ絞首台の十三段を拭き清めをり 同 |
編集者 | 投稿日時: 2009-9-3 8:32 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・52 巣 鴨(その一)
いつまでをかくは歩りかむ命ぞと無慙なるまでに貌は見てゐき 梨岡 寿男 手錠されてひとは歩める日蔭路にヒマラヤ杉の花こぼれゐつ 小林 逸路 降るごとき朝のひかりに一團のつながれしままの死刑囚歩める 内田 五郎 やがては殺されてゆく人達よあれあのやうに片手を振って 谷本 俊一 両の手に食ひ入る如き君が枷解かむすべなし吾が手届くに 下田 千代士 (於三六一病院) 手枷して面会してゐる極刑の友の手頸の細りしことよ 佐々木 勇 死刑囚の減刑嘆願 天つ神に願とどけと端坐して字劃正しく我が名したたむ 東木 誠治 弦を合はす音にまぎらし覓め得たる影に短き言はおくりぬ 田代 友禧 (慰問演奏) 比島死刑囚佐々木春夫君の便り 絶筆と或はならむか二度よみて丁寧に綴りおく俘虜通信紙 小林 逸路 このメモを使ひし君は既になしボアキンといふはいかなる土地ぞ 大谷 房吉 異国より還る友等に幸あれと畳に差しあり死刑囚の文 中村 安蔵 かなしみの極みにあれば死囚らが詠へる歌はかくもきびしき 栗原 吉生 鉛筆の芯なめつぎて灯の暗き夕を寫す君が死の歌 穐田 弘志 死の棟に移されゆきし友の品形見と分けつ底冷ゆる夜を 同 刑執行の噂しきりなり小夜更けて滲み入るごとく雨降りつづく 毎田 一郎 執行の噂流るる秋雨の夕べを独り房にこもれり 村井 正明 群鴉棟をはなれず啼きしきる處刑の噂傳はりし日を 最上 善一郎 逝かれたる八人の中に気づかはれし菅沢老の名をも聞きけり 片山 謙五 見て来たと云ふ人に會ひて棺桶の数執拗にたしかめむとす 大島 紀正 心あるもののごとくに散る公孫樹刑死の友と語りしもここ 藤井 正市 讃美歌と誦経の声のこもらへる朝の五棟は去りがてぬかも 額田 坦 死にゆける友の幾人かくらしける房としもへば安寝しなさぬ 中村 安蔵 刑死せし友も倚りけむ房壁の汚染(しみ)に射しゐる夕日の光 浜本 次郎 昨夜(よべ)逝きし囚友(とも)の妻子が泣きぬれてグリーンゲートを去りがてにをり 浅利 英二 |
編集者 | 投稿日時: 2009-9-2 8:57 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・51 異 国(その二) 明けやらぬ南の空にこだまして萬歳叫び友逝きにけり 鈴木 亀 (西貢) 乏しかる線香供へ在りし日の戦友(とも)偲ぶ夜を雨降りしきる 倉林 幸三郎 (プロコンドール島) 血達磨となるも語らずあくまでも友を護リて死にし秦君 山本 二郎 (バンジエルマシン三首) MPにせきたてられて別れしが吾が手に残る君のぬくもり 同 ありし日の君を偲びて監房に遺稿読みつつ涙せきあへず 同 銃刑の跡にたまりし血の中にゆくりなく見し軍服のボタン 渡辺 正司 (ポンチャナク四首) 血ににほふひつぎの前に老将か頭をたれて合掌し居り 同 ねもごろに納棺し居れば執行を終えし彼等が乾杯し居り 同 亡骸(なきがら)は運び去られてMPが血染の手錠洗ひて居たり 同 マタハリを胸にかざしてわが戦友(とも)はつねの如くに死に就きにけり 鈴木 武夫 (バタビヤ四首) 暁の死房に聞こゆる「海行かば」悲しきいのち今日も逝くらし 浜田 貞 この朝(あした)友死に就くと「海行かば」唄ふ囚屋に嗚咽高まる 小林 宗平 君が逝く永遠(とは)の旅路を浄めむとかくも降りしく時雨なるらむ 鳥井 衛 死刑独房への道 悲しみに通ふこの道ゆきゆけば夕去りがてに山鳩ぞ啼く 酒井 光 元憲兵少佐長幸之助氏を悼む 三首 山峽の時雨るる街にあひ逢ひし君がゆかりのかりそめならず 同 絶対の運命(さだめ)と覚悟(きめ)てひたすらに生命守れる君にし哭かゆ 同 多々良浜に祖國(くに)を護りし武士(もののふ)の若き血潮の君が荒魂 同 キリストも釈迦も頼まず遺書も書かず刑死したりし勝村少佐 富田 善雄 (ジャカルタ) 死に就くとひと足ごとに遠ざかる君が返り見し最後の笑顔 水元 年男 (バタビヤ五首) 北の國小樽の町に神かけて君待つ人に如何告げなむ 伊藤 金七郎 せめても君が御霊をなぐさむと愛でて植ゑゐし太陽花(マタハカ)を供ふ 武 勉 亡き数に入るかと見えしわれながら御霊祭りに会(あ)へる今日かも 鳥井 衛 インドネシヤ独立す 亡き戦友(とも)のみたま籠れる椰子の島に今たからかに雄叫び聞ゆ 水元 年男 次々に死の判決を下されし雨季のメダンを憶ひ出でをり 神住 善治 (巣鴨) 極刑の友におよぶをおそるれば自己を証(あか)さず君は逝きけり 安達 孝 (スマトラ二首) 安らかに眠れとなどか祈るべき御魂をのこし逝きし君故 関 一衛 頸動脉を切りて死にたる友の顔或ひは云はむ静かなる死と 森重 義雄 (サバン島) 土民らの怒声ききつつ墓を掘るただひたすらに頭を伏して 武 勉 (メナド) 音に哭きて山に対へば雲立ちぬ君があたりか雨いそぐらし 谷口 武次 (オンルスト島二首) いく度かかの島ぬちの君が眠る土に散りけむ火焔樹の花 同 |
編集者 | 投稿日時: 2009-9-1 9:46 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・50 死 刑 囚 に 寄 す 異 国(その一) 開きたる獄の鉄扉の夕蔭を出で行く君のマスクは白し 長谷川 稔 (上海八首) 父が友人張宗援、伊達順之助先輩を提藍橋監獄に送る 刑場につづかむ道も大君の辺と往く君の眉目のすがしさ 加藤 三之輔 その胸に日章旗いだき夏草を赤き血染に君は染めしか 大西 正重 一年を其日のままに俗名の位牌におはすみ灯(ともし)の揺れ 伴 健雄 魂祀る宵とはなりぬしかすがにその遠妻に告げむ術はや 永田 勝之輔 同胞が守りてかへる御骨らを畑に佇ちて見おくりまつる 安野 秀岳 ここにして時雨冷し埋もれる勇士の骨に浸み徹るらむ 酒井 正司 還りゆくわれら集ひて野火の煙たゆたふ丘にみ骨を拾ふ 今野 逸郎 唐人の歓呼の中に散りしかや銃声聞ゆ白雲山(はくうん)の麓 増山 喜平 (廣東) 鯉魚門(りぎよもん)に葬られたる御霊はや二歳(ふたとせ)の忌に黒潮おらぶ 小原 直治 (香港五首) 鯉魚門の潮(うしお)は疾(はや)し底碧(あを)し鉄を抱(いだ)きて葬(はふ)られし友等 吉田 朋信 水葬する屍の重錘(おもし)の鉄棒が解剖室の前に置きあり 田原 巌 名も知らぬ野の花なれど水に泛かべこころからなる霊祭りする 徳永 徳 二十六人の同胞の首吊りにける英人看守の腕の入墨 吉田 朋信 刑場に今向はむとする友の金歯の光今も目にあり 神保 善治 逝き給ふ刻は迫るか独房の前の足音(あのと)のあわただしもよ 吉井 啓祐 この辺(あた)り君か亡骸(むくろ)の土ならむ手に掻きよせて袋におさむ 若松 斉 海ゆかばみづく屍と歌ひつつ絞首台にいま友ひかれゆく 渡辺 正 (マニラ二首) 死刑囚が今する挙手の敬礼は永久の別れぞ應ふ術もなき 酒瀬川 眞澄 「十四名銃殺せらる」と大文字のマニラニュースを声なく見詰む 野口 悦司 (巣鴨四首) 「比島戦犯死刑執行」の記事いたまし罪なき戦友(とも)ら遂に逝きたり 野崎 敏雄 比島の死刑囚 厳かにいのちきはまる時にして己が潔白を語りしといふ 北田 満能 十四名比島にて執行さるとききて さなきだにかなしきものを白藤の散れる夕べの庭に佇ちゐし 鈴木 義輔 刑死せし友の空部屋おとなへば小鉢の野菊色あせてあり 小市 廣栄 (グアム島) |
編集者 | 投稿日時: 2009-8-31 7:36 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・49 最後(つひ)の面会(あひ) 育ちゆくさまを一目を見せむとて連れ来し吾子を椅子に立たしむ 平尾 健一 (巣鴨十八首) かぼそかる喉(のみど)鳴らして水のめるこの子の命永遠(とは)に生かしめ 同 去りゆくを廊の果てに逆光に立ちし妻子(つまこ)をかへり見につつ 同 子らを育て努め果して来む君を彼岸に待つと言(こと)に遺しつ 同 冬の雨にはるばると来し老妻は金網越しのわが顔みつむる 故井上 乙彦 帰りゆく妻の肩まで丈のびしオカッパ髪の吾娘(あこ)をかなしむ 同 一年を秘めゐし覚悟春されば過ぎにし如く妻に語りぬ 同 旅遠く最后(つひ)の別れに連れられし子は野球帽かむり眠れる 森 良雄 最後(いやはて)の別れと知らず小さき手を母に委ねて打ち振る吾子よ 出口 太一 相見ずて十年(ととせ)を経たる吾妹子は振りかへりつつ網の彼方へ 手塚 敏雄 見せまじと努むる手錠に目をとめて涙し給ふははそはの母 久保 久吉 はるばると訪ね給ひし老母は近う寄れよと涙も拭はず 故藤中 松雄 命ある我に一目を会はせむと孫の手曳きて父は来ますも 冬至 堅太郎 六年前買ひ與へける黒無地の単衣よそひて遇ひに来し妻 佐藤 吉直 金借りて夏の盛りをはろばろと妻子は来しかわれに会はむため 鳥巣 太郎 やせたりとはや涙ぐむ妹に「お前もやせた」と網越しに云ふ 瀬山 忠幸 駆けつけし妻は網越しに今生の礼述べむとて泣き崩れけり 福島 久作 ではこれが最后と吾娘(あこ)に告げし時我はや立ちて顔見ざりけり 同 |
編集者 | 投稿日時: 2009-8-30 7:38 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・48 母の手紙 執行の予感に私物整理しゐたるとき投げこまれたる母の手紙よ 故田口 泰正 (巣鴨四首) まとまりし病中詠なれど父母に書き送るのはやめむと思ふ 同 家妻に死刑確定を報らすとき「不忘此恨(ふぼうしこん)」と書き添へにけり 炭床 静男 丹念に妻に書きたる初便り字数超過と返されにけり 同 寂しさに耐へつつ強く生きてありと死刑囚(とも)の便り来ぬ霙降る日に 星野 多喜雄 (上海) 二月(ふたつき)振りに受取りたりし妹の手紙(ふみ)は只平凡に家況告げ来し 故井上 勝太郎 (巣鴨十二首) 老母の病ませ給へば家妻は子を背負ひつつ手綱とるてふ 故藤中 松雄 命すでにきはまりをれど今日もなほ吾子のことなど便りする妻 北田 満能 山茶花の机の上に匂ふさへ淋しと妻は詠(うた)ひよこしぬ 友森 清晴 俸給を初めて受けしよろこびを傳へ来にけりあはれわが妻 鳥巣 太郎 しもやけの手が痛むとふわが妻のながきたよりをひろひ読みつつ 故井上 乙彦 三年余を離(さか)りて居ればわが妻は口紅(ルージュ)おしたる手紙(ふみ)おくりこし 同 なかの子が送りくれにし静物の絵に金賞の印附きてあり 佐藤 吉直 世のことは空しきものと知りそめて父の手紙に泣かじと思ふ 故平手 嘉一 絞首刑受けし不幸を父に詫ぶと遺書かきゐつつ涙ぐみとり 越川 正雄 幼な児の遠くかすかなる泣き声を遺書かき止めてしまし聞きをり 瀬山 忠幸 残生(ざんしょう)を子らにかたむけ書く手紙百五十字に制限されつ 森 良雄 |
編集者 | 投稿日時: 2009-8-29 7:59 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・47 思 郷 子の夢 巣鴨よりマヌス島へ送らる 会ひ得ざりし老い母おきて再びを八重の潮路(うしほぢ)今かこえゆく 鍵山 鉄樹 (巣鴨四首) ズボンの破れからとび出してゐる膝小僧よ私は母が恋しくてならぬ 故幕田 稔 中学にゆく吾の学資に関りて常に諍ひし父母なりき 故井上 勝太郎 とげとげしくわが振舞ひし日のありて亡母(はは)の思ひ出に滞りあり 鳥巣 太郎 花菖蒲咲きにし庭にただ一人帰らぬ吾を母は待つらむ 故黒沢 次男 (上海) 寂しさの極まるときを「久吉」と呼び給ふてふ老いませし母 久保 久吉 (巣鴨八首) 絞首刑の判決を受けて 父ちゃんは何処と母に問ふなかれ遂に会ふべき身にしあらねば 吉原 剛 靴下のやぶれつくろふ一時(ひととき)を母の面影ひたに迫(せ)むるも 故成迫 忠邦 ゆくりなく故郷(くに)の地圖あり右隅に姉の部落の道は切れゐつ 同 冬の日の淡き陽射しに肩並めて荒地拓(ひら)きし妻し思ほゆ 炭床 静男 十年を消息(たより)たえゐし師の短歌囚屋の古き圖書に見出でつ 故田口 泰正 能登の海に放流したりし鱈の稚魚三年(みとせ)は過ぎて育ちにけむか 同 家郷(ふるさと)の前つ岡野(おかぬ)の道のべに咲き匂ひゐし蝦夷菊を思ふ 同 しみじみと故國(くに)の父母しのべよと夜もすがらなく秋虫の声 故発生川 清 (ビルマ) 空腹(すきはら)を訴ふ吾子思ひつつ唯胸せまる箸とる夕餉 故福原 勲 (巣鴨四首) 膳にのるリンゴにかよふ吾子の顔サジさへ採らず目守りて居たり 故藤中 松雄 降りしきる雨の畦道通ふらむ吾子思ひつつ遺書書きて居り 同 子を抱きし夢よさむれば飈々(へうへう)と虚空に夜の風は吼(おら)べり 冬至 堅太郎 |
編集者 | 投稿日時: 2009-8-28 8:35 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
歌集巣鴨・46 梟 の 心 既にして関りなき人の世の賑ひ見つつ護送(おく)らるる我は 冬至 堅太郎 (巣鴨二十首) わが髪を入れて遺すとこのひと日ちひさき紙の筥貼りにけり 同 味噌汁の白葱しみて香にたてば生きたき心抑へかねつも 同 友二人減刑になりて去り行くを扉(と)の隙間より見てゐたりけり 同 未亡人救済事業にわが縣が先駆せるとふ記事を冩しぬ 同 最后(つひ)の日も近しと思ふ小机(をづくえ)に埃かむれる「善の研究」 同 わだつみの磯の平(たひら)の大き巖昏れゆく如く我は死なむか 楢崎 正彦 時折は母に対ひてしみじみと名のみの妻の歎きいふらし 同 處刑場(しをきば)につづく寒夜の石廊を曳かれゆく思ひ我をよぎりぬ 同 武士道は死ぬことなりと「葉隠」を人に説きたる昔もありき 友森 清晴 夕まけて風や出で来し玻璃窓の網目にさせる折鶴ゆるる 鳥巣 太郎 何となく気がねをしたる面持に減刑されし人ら出でゆく 同 戯(たはむ)れに丸めし毛布撫(さす)りつつ児の名を呼びゐし獄友(とも)は狂ひぬ 森 良雄 同室の友刑執行を確認せらる 枕辺の壁に珠数吊り眠りゐる丸刈り頭をわれは見下(おろ)す 同 乏しかる遺品のなかにつる折れし眼鏡は紙に包み添へけり 同 わだつみの底ひに棲める眼なし魚おほかたの世に忘れられつつ 平尾 健一 この晨(あした)つづけさまに地震(なゐ)おそひ来て看経(かんぎやう)の身をゆすぶりやまず 同 空(くう)の理(り)を説きあかします師(きみ)がこゑ訥々(とつとつ)として心に迫(せ)むる 同 (田島隆純先生) 執着(しうぢゃく)の濃き面持をするならむと頬の硬(こわ)ひげ撫でつつ思ふ 同 あからひく光に向ふ梟の心まどひをひと知るらむか 同 |
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