メイン 大正の時代 亡父の日記にみる大正初期の正月 | 投稿するにはまず登録を |
スレッド表示 | 古いものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
マーチャン | 投稿日時: 2006-12-10 16:45 |
登録日: 2003-12-31 居住地: 宇宙 投稿: 358 |
亡父の日記にみる大正初期の正月 亡父の遺品のなかから、大正2年、亡父満20歳の折の日記を発見しました。
「昔の人は真面目・勤勉」などという常識をすべて吹き飛ばすような、ある意味では痛快な日記ですので、敢《あ》えて公開させていただきます。なお、私にも「読めないところ」「意味のわからないところ」がたくさんありますが、面白そうなところを拾い読みしてみました。 1.正月早々、日記を忘れる 七草まで遊びすぎて日記をつける暇がなかったから、まとめてつける―――といっていますが、その遊びの内容たるや「凧《たこ》をあげた」「羽をついた」と、正月早々、徴兵検査を受ける私大生としてはやや子どもっぽい。後は食べ物の話ばかりです。(私の子どもころも、お正月には子どもそっちのけで、凧に夢中になっていました) 2.七草 珍しく、七時に起床。 父親(僧侶)より「今日の天気が雪とならなければいいが」とひやかされている。 この父親(投稿者の祖父)も結構クチが悪いようです。 3.街も、のんびりムード 大学の野球部がマニラのカーニバルに招待されての出発の日。 新橋あたりをパレードしていたようですね。 この頃から「海外遠征」なんて行われていたのでしょうか。 「マニラ・ゴー」コールへ、「巣鴨ゴー(当時、巣鴨には精神病院があった)」と茶々を入れる人もいたようですね。「多分負けて帰ってくるだろう」と、これまた意地悪なコメント。 でも、夜は「開山上人のお逮夜《たいや》(忌日前夜の意)」のお努めもしています。ただし、精進寿司にまで話が及ぶのがこの日記らしいところです。 |
スレッド表示 | 古いものから | 前のトピック | 次のトピック | トップ |
投稿するにはまず登録を | |