メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 東京大空襲の日 BUP | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2012-9-7 5:46 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
東京大空襲の日 BUP はじめに スタッフより この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への投稿(2010/03/10)を、投稿者(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。 --------------------------------------------------------- 皆様 コンニチハ 昨日、善兵衛さんより、”東京大空襲の日”のお書き込みが御座いましたが、レスを書かせて貰おうと思っているうちに消えてしまいました。 朝刊(当家は朝日)を見ても、該当記事は皆無、僅かに投書欄「声」に一つだけ、読者の投書があっただけ。 こうして、あの戦争は忘れられて行くのでしょうか。 南方の戦場で勇躍(?)飛び回っていた小生儀、実は、当日、東京の大森の実家に居たのです。 飛行機のエンジンは一定の消耗時間が来ると交換します、”エンジン交換”と言いますが、其の為に、内地に帰っていたのです。 当時は、沖縄、台湾、比島の上空の制空権は無くなり、上空は飛べませんので、シンガポールより、広東又は海南島、上海経由で内地に辿り着く飛行になりました。 それも、昼間は飛べませんので、夜中に離陸、明け方、明るくなってから着陸の夜間飛行で飛んでました。 内地で、エンジン交換の間、休みを貰い、列車の切符を買って貰い、東京、大森に辿り着きました。 家は、馬込の高台に在りました、夜中に小便に起きた時、二階の階段の突き当たりの北向きの窓から、北の方角が真っ赤に燃えているのが見えました。 東京大空襲を此の目で見たわけです。 翌朝も、其の次の日も、情報は一切入って来ません。 何も知らぬまま、基地に帰り、そのまま、又、南の戦場に向かいました。 東京大空襲の悲惨さを知ったのは戦後のことでした。 次に、内地に飛んだのは、南方で養成して飛べるようになったパイロットを「特攻要員」として内地に輸送する「特攻輸送作戦」でした。 長くなりますので、追って。 (プールで家内が待ってますので、大急ぎで、これからプールへ、帰りに、お買い物の荷物持ちをやらせれるのですよ m(__)m ) |
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