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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
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あんみつ姫
投稿日時: 2009-3-21 15:13
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
昭和十七(康徳九)年九月   

五日(金)
 二年生が南寮から北寮に移転して来る。
 哈爾浜神社の宵祭あり。川口と一緒に行く。いくら見てもつまらない。挨にまみれて帰る。

七日(月)
 野外教練あり。晴天が続いているなかによりもよって雨の日に野外教練。北寮の北側が発起点で、演習を行いつつ射撃場に至る。

八日(火) 雨
 午後、運動週間の行事あり。無理に元気を振い興して出場する。マラソンに参加。教宣街の電車の曲がっている所で見事自転車に衝突する。怪我はなかったが、手脚をついて服を汚した。相手の自転車は横倒しになり、ひっくり返っていたが、これまた怪我はなかったのが幸であった。
 鈴木淳栄に近藤陽吉(22期)が北寮へ風呂に入りに来た。生憎、種々の手違いで本日は風呂なし。二年生から南寮の部屋の移転について種々話を聞く。三年生の一部の者に対する批判もある。仲々鋭い。

十一日(金)
 今日は秋丁祀孔《注1》で休み。明後日は日曜日である。
 川口利雄(22期)が柔道の濱江省代表として新京へ行く。

十八日(金)
 昨夜の雨はからりと晴れて今日の建国忠霊廟秋季例祭の祝典を祝っている。
 六時半起床。学校に集合して南のかた王兆屯の忠霊塔に参拝する。境内は人の波で埋められている。途中にて帰る。
 夜、寮の前の南瓜畑を襲撃する。戦果、三十五個あまり。冬のために貯う。

 滑空班の部屋の編成でちょっともめる。野球部、庭球部が一番関係あり。その時柔道部室の扉の例の刷紙「柔道部員以外必要外ハ出ルベカラズ」を見てブツブツ言っていた者があった様だ。可愛い!!

十九日(土)
 朝から寮で寝ている。食べすぎか腹の調子が変である。数日前、大島篤三(23肝)遂に市立病院に入院する。腸チフスなり。それが入院した病院でボーイと喧嘩して殆んど血の雨を降らす寸前まで行ったと寮母の小母さんが真青の顔で私に語った。

病院から寮への帰途、急に又腹痛が激しくなり一歩毎に坤いた。畜生これがあの南瓜の崇りならもう一度行って今度は根こそぎに取って来てやる。
 夜、哈爾浜発電所の火災発生により突然停電する。その火事の甚だしいこと夜明けまで続き炎は天を赤く染めた。

 川口利雄、近藤陽吉、鈴木二二(以上22期)、鈴木淳栄来りて、柔道部員室に入り「武」の精神を大いに説く。南崗のビヤホールにて少々きこしめして来たとの事。
 停電の真黒暗の中、突然寮でストームが発生した。東から来るのを川口は制止も聞かばやとて下駄を飛ばし、西川政廉(23期)は傷ついた。西より来る者に対しては鈴木淳栄が大声で一喝あびせ退散させた。其の後当事者に会い、寮内の事として処理す。
 本当に悪い星のもとの一日であった。

「一高の寮生活を知らずしてとは何だ!」

二十日(日)
 朝から快晴。電気は通っている。
 皆朝早くから寮祭の練習準備に忙しい。寮祭終るまで何も出来ないだろう。
 哈爾浜女学校の運動会あり。見に行く。寮祭や運動会の器具など昨年も借りに行って先々に知り合いも出来、行き易い。帰ろうとすると引き止められ、最後まで居り、一緒に行った二年生と校長先生の酌でビールを飲んで帰る。
夜、佐竹来たり質すことあり。内藤の入寮の件と寮生活のことなり。
彼の行動は軽率であり、思考は浅薄であった。而も言葉は不遜である。「一高を知らずして自治を語る勿れ」とは何ぞ(2)
 川辺は前を向いて一言も言わない。

 佐竹は現在日本の学校の寮生活がどうなっているのか認識がないのだ。私は此夏休に帰省した時、六高へ行った先輩がもう自由なんかないのだと嘆いていたのを思い出しながら彼に言った。「佐竹さん、貴方一高の寮の現状を知っているのですか。学院を退学して、一高へ入学し直して、寮生活を体験して此処へ来て話して下さい。貴方は日本の学校の寮生活の現状を知らないでしょう」と。
 佐竹は「何」と言って立上がったので、私は灰皿を掴んだ。川辺が仲に入って私の手を抑えた。佐竹は物も言わず出て行った。
 青木と三人で佐竹と内藤の関係を話し合った。今日の事は俺がやった事だから二人は関係ない。その俺も寮の委員は止めるのだから。
 おかげで寝たのは二時過ぎ。

注(2)
九月二十日 「一高を知らずして自治を語る勿れ」誰の言葉か知らないが、平和な時代のいい言葉だ。この後も内藤は北寮へは行かなかったが、この当時北寮へ行くことになっていたのだろうか。

注1:旧満州国の祭日で 秋に孔子を祀る日


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2009-3-21 15:19
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
昭和十七(康徳九)年九月 

二十四日(木)
 創立第二十二回の開校記念日である。
 厳粛なる式典の後に意気揚々とした学院魂を感じ、一層先輩の義烈を恥からしめんことを誓う。
 金の都合がついたので夕方、教材のプリントを製本すべくロシア人の製本屋に行く。

二十五日(金)快晴
 先づ天候を心配していたが快晴で安心。起床五時半、薄暗く且うすら寒い。南寮で飯が出来てないので集合がおくれる。今日は記念祭、運動会である。

 食堂係拝命。
 不準備の中に一途奮闘する。一日中眼の廻る様な忙しさの内に過ごす。価格が安いのに驚いて呉れるのは当たり前だが、御婦人から味噌汁がおいしいと言われたのには意外だった。吾々は未だ味の解る年ではないのか。
 運動会の方も共栄圏踊りを見たのみ。
 最後に校旗に敬礼。幾多隆替ありとも厳然として奉持せられた校旗。感激の一瞬である。

 夜、八時から南寮後庭でストーム・コンパあり。
 コンパ後、伊藤鎭、室園(23期)と三人で街に出る。キタイスカヤのロシア料理店二軒廻り帰る。電車の中で眠る。今夜は点呼なし。南寮の者は北寮に、北寮の者は南寮にそれぞれ宿ることもよろしい。

 雨は夕方頃からシトシトと降り始め、夜半になると俄然どしゃ降りとなる。
 寮の小母さんにパン五個と外に少し買って帰ったのに居ない。
 昼、食堂の仕事が終わった時、小さな人形を一つ拾う。誰か落として行ったのだろう。心の中の苦しみ、悩みは、この人形を見ていると空に散って行く様な気がする。
 かわいい人形、私のマスコット。

二十六日(土)
 朝から雨、その上寒い。南寮で寮祭あり。進行係拝命。忙しきこと昨日と同じ。
劇の結果は全く予想外であった。南北寮合一は完全に破れ、寮祭は北寮の大いなる犠牲の上に行われた。全く自分の様に悩んだり、又迷ったりしている者が寮の委員長をしてはいけないんだ。その上柔道部の一人の最上級生でいる事も恐ろしい事だ。いくら考えても恥
ずかしい自分だけが自覚される。
 川口(22期)が数日前から下痢で悩む。室園(23期)が休む。
 寮祭が終了したのは午前三時。

芸能祭演出成績結果
 団体演劇賞
一等 布施太子の入山      二年甲組
二等 ブィストゥリイル     ロシア研究会
二等 邂逅           北寮演劇団
三等 人面桃花         満系学生
三等 一心斉冥夢        流水劇団
三等 第一の世界        三年乙組

  個人演劇賞
一等 今川清志(二年)     布施太子の入山(太子)           
一等 平文雄(三年)      ブィストゥリイル(田舎地主) 
二等 花恵郷(三年)      人面桃花(母)     
二等 中本鯉三(三年)     第一の世界(山中慎一、学者)     
二等 黒上光男(二年)     布施太子の入山(王妃兼波羅門丁)
三等 岩井創造(一年)     人生劇場(吉良常)

二十七日(日)晴時々雨
 昨夜皆が帰ったのが三時、併し起きなければならない。八時起床。副学監室で暫時仕事をしていると昼になる。昨夜の怒気未だおさまらず。じいっと見て人形に思いを寄す。
 午後、外出する。「兼田」で紙ばさみを二個買う(寮の備品)。一円五十銭。
 寮母さんに頼まれて先輩の澤崎(清太郎、4期)さんの所へ着物を持って行く。

 孤独。人間の逃避的な敗北者の道を私は歩んでいるのだろうか。併し、決して敗北はしない。苦しい人生、社会、それは学生以外の世界の戦いの中にある。
 就寝十一時二十分前。

二十八日(月)
 午前中授業さぼる。午後教練がある。休むとうるさいので出て行くと教官が不在で無し。柔道の練習のみして帰る。どうした事かマネージャーの伊藤(鎮)がいない。

二十九日(火)
 野外演習があり、場所北寮近傍。途中で雨になり屋内で講話あり。
 雹が降って来る。その大きなものは直径一センチメートルもあった。全く生まれて初めてあった経験。

一年生が帰って来て病人の為に別にしていた晩飯を皆食ってしまって、病人の食べるものがないと云う事件が起こった。私は炊事に走って、飯を炊けと云った。炊事は配給だから米がないと云う。川村先生の所に走って、来て頂き一時間おくれに病人の食事が出来た。おかずにいいものを付けさして病人に謝った。
 この事は寮の規律の乱れが原因だ。責任者を追求せよ。それは寮委員だ。

 寮委員の三名川辺、青木、成瀬三名の夕食は青木が買って来た餅と寮の小母さんが作って呉れた「ぜんざい」。おいしい。


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2009-3-21 15:29
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
昭和十七(康徳九)年十月

六日(火)
 昨日の査閲の予行が雨天のため取止めになり、代りに快晴の今日行われる。起床六時、正に絶好の日和なれども稍寒し。
 射撃場の準備を命ぜらる。査閲何も受くる事を得ず。大いに不満なり。然れども又縁の下の力持の仕事も又良からずや。但し吾々を捨て置いて帰れる廣渡先生の態度は全く怒り心頭に発する。
 北寮は良いとの三年生の羨望の声を聞く。全く彼等にして見れば勝手放題の事をして、後の此の態度。些か満足の感あるも、そのうつり気、利己的な心に軽蔑の感あり。
 全く解し難きは人の心である。今日の此の日は誰か知る。全く苦しみ抜いた此の二年間、寮に愛着と義理の深きを今更にして知る。如何にせん我が身!!

十五日(木)晴 暖
 晩、室長会議あり
 寮委員の三年生、三名は攻撃の矢面に立つ。寮の委員辞職の説、旺んなり。室長二十名の内、反対者、有馬一名、棄権者二名(川口、繁田)他は皆辞職賛成者なり。如何にせん誠に困りたる事態に立至れり。
 九時前より二時頃まで会議続行す。川村先生一言も発せず。黙念たり。

室長会議メモ(康徳九年十月十五日)
 北寮室長会議 於十六号室
一、既成規則に対する意見。
1、土曜日門限十一時とし夜点呼止め、室長の報告のみ。日曜日点呼なし。
 2、(字が読めず)保留。
 3、夕食五時、食事当番の徹底、炊事当番の掲示。
 4、点呼は厳格に。室長の責任。
 5、各部単位にする。初学年と高学年との相違。
 6、入浴時間 五時半から八時半まで。
 7、週番の徹底。
 8、室内整頓の責任。
 9、自習室で禁煙の施行及び静粛化(歩く足音にも注意のこと)
二、寮委員に対する希望。
 1、寮生の人格を無視するな。
 2、無能寮委員の退寮。室長、副寮長の選挙制、熱と意気を希望し投票によって決める。
 3、現委員に対してはどうか。
 更迭するか、全学年の意向により慎重に対処するが、その意見は
 変る=山本、黒瀬、原田、森分、その他。
 変わらない=有馬。
 棄権=繁田、川口。
三、寮施設に対する意見
 1、売店、係にまかす。
 2、電球、現状維持。十三号室、十四号室。
 3、ラジオ、蓄音機、十号室。
  日本音楽と共にロシア音楽も整備する。
 4、音楽室、十六号室。
 5、図書設備の完備、各人の寄附二冊 月刊雑誌、新聞の整備。文化係を置く。
 6、娯楽室、ニケ
 7、食器棚。
 8、植木鉢、各室に備う。
 9、寮内の美化、食堂。
 10、スケート場借用のため白梅小学校と交渉。
 11、花、籠球、排球。
12、休養室の改革、治療室にすべきだとの意見もあり。
 13、洗濯物乾場、洗面所の棚。
 14、下駄箱、七、十、十一、十二の四室。
 15、ピンポン台、脱衣場、ボールの配給。
 16、投書箱(新聞箱を利用する)
 17、浴場の小桶
 18、各室に薬缶。(寮費で)。
 19、薬品類の常置。
四、体育方面
 1、ハリバ肝油。
 2、嗽薬の常置。
 3、朝の体操。(この時東方遥拝)。
 4、乾布摩擦の指導
五、学校並びに寮当局に対する意見。
六、徳育方面。
 1、礼儀正しく。
 2、食事の改善、夕食の汁
 3、点呼後の廊下を厳粛に(標語の募集)。
 4、廊下での挨拶の交換(オース)。
 5、ストームの事。
七、学術的方面。
 1、北寮の機関誌紙文化部。
 2、対ソ研究会、対北方研究会(先輩との交換機関の設備)。
 3、同好会、各種研究会。
八、精神的方面。
 1、寮歌
 2、親睦、和合、団結。
 3、討論会(テーマを定めてやる)後まわし
 4、モットーの掲示(名句の出た場合)。
 5、各室で室長中心の検討、練磨の会。
 6、集会(座談会)。
 7、コンパ、ストーム (主として戸外で、そして時々)。
 8、責任感の減少が見られる。
 9、北寮、南寮の統一、融合。
 10、前以て許可を条件に南北寮相互に宿泊出来るように極力努力すること。

特別議題
1、萬事につき積極的に指導頼む。
2、三年生の入寮を希望する。
3、上級生の独断排除。
4、寮委員の親心。
5、寮委員の忠告。
6、本日の寮委員の問題は保留にすること。
7、売店のことは売店係に一任。

この他にもう一枚「メモ」がある。

康徳九年十月一日
一、文化部(レコード、蓄音機、新聞、本)
二、カボチャ、薪代
三、米、味噌、醤油
四、売店の監督下にやる。
五、音楽室の飾付(油繪)
六、硝子の破損(査閲)。
七、防衛部(査閲)。
八、自習室の静粛。
九、点呼の時間、朝七時、夜十時(外出日は十一時)。
十、消燈、電燈一つ - 消燈紐、百ワット。
十一、点呼後の集合を早くすること。
十二、室長会議の形式。
十三、二年生と一年生との隔差。
十四、学校の本質的な考えを根本として種々施設をすること。
十五、学校の理想なり、寮の目的なりをはっきりと寮長会議の席で意見として述べるべきである。
十六、寮の一元的な理想的指導法。
十七、二年生は一年生に対して指導的な立場に生きよ。

十六日(金)晴 暖
 靖国神社臨時大祭の日なり。講堂において遥拝式あり。争初の論功行賞あり。支那事変としては最後なり。軍神、加藤建夫少将功二級を賜る。又ハワイ空襲部隊及び特別攻撃隊等も嘉賞せらる。之、金鵄勲章叙賜令中特旨受賞の最初の適用とあり。


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2009-3-21 15:38
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
昭和十七(康徳九)年十月

二十三日(金)晴 寒
 十月二十一日が本年の初雪だった。冬が馳足でやって来た。秋晴の天候は一日にして、陰欝な冬に変る。寮の事でも頭がわれるようだ。悩み切った自分の弱い事よ。昨夜もブヘットへ行った。冷え切った心は暖い一杯の紅茶を求めている。併し扉は閉ざされていた。
 月は煌々として雪を照らしている。静かな夜に腹立たしくなり雪を蹴って帰った。三時頃まで寝れない。結局、学校は休んだ。

二十六日(月)晴 暖
 今日と云う日は新しい革命を与えて呉れた日である。北寮を出て南寮に移る。
 夜、歓送会あり。悪いが面白くない時を過す。淋しい事より敗北感が強い。人間って弱いものよ。人事みたいに言うな、お前自身の事だぞ。俺の事じゃない。自分の事ならあまりにみじめ過ぎる。  まあ、之を理論立てるか。理論になるのか、なれば少しはみじめさから救われる。

二十七日(火)
 朝、登校することはしたが、授業を受ける気持にならず街へ出る。
哈爾浜会館でマレー戦記を見る。面白いよ、こんなの見て気が晴れれば世話はない。

昭和十七(康徳九)年十一月

一日(日)
 南寮の生活にも慣れて来た。時がたてば忘れるだろう。昨日、川辺と秋林へ散歩に出る。彼の思想は確かだ。彼は誤ちを犯してないと信じている。彼が弱気になって寮長を止める気になったのは誰も知らないが、恐らく健康の問題だろう。

 昨夜、北寮柔道部室で送別会をして呉れた。後、名古屋グリル、太平洋と数店梯子の旅をする。特に一年生に言った。人生みじめな思いをせぬように生きよう、と。
 今、周囲を見て一番みじめな境遇にあるのは蒙古民族ではないだろうか。外蒙園、ソ咲、支那、満州国と分裂した民族としての生活を余儀なくされている。之は研究テーマの一つになるのではないだろうかと偉そうな事を考えた。

 ラグビーの試合あり。関東州以外の決勝戦、学院は満州医大を二十対零で快勝す。昨夕からの雨まじりの雪の中で戦って勝ったラグビー部に感謝の声援を送る。
 柔道部は無段者大会あり。二組出場せしも皆敗退す。鮮系国民高等学校、大道館の意気旺なり。

四日(水) 晴
 室内温度が昨夜は二十三度に迄昇ったが、今日は調節されて十八度から二十度位、丁度良し。
 昨夜、伊藤鎭と話し合う。結局、彼の言葉、彼の態度に対する反感があんな事を言わせたのだろうか、私はあんな場合にあんな調子であんな言葉が出て来るとは思わなかった。矢張り恥かしい。

 今日は映画〝南の風″を見そこなっただけか、又米内先生の所の〝パルシニヤ″も見そこねた。残念。
 明治節の良き日を拝して十一月三日大道館で武道大会があった。柔道は優勝したが、剣道は工大に破れた。

七日(土)
 朝から雪降る。寒し。一時限、授業さぼって北寮に行く。川口は長い間寝ていたが、金を送って来たと云って街へ出たようで居ない。竹内先生の所に子供さんが二人居ただけだ。
 川辺が来たので小母さんに夕食を御馳走になり帰る。帰りは寒かった。

八日(日)晴
 外要人民共和国、露語小説原書買う。
 映画南の風。
 南の風は暖い。併し北の風はどうだろう。淋しいしらべしかない。昼間、雁が三羽南へ飛んだ。間抜けた雁にしても矢張り淋しい。北と南の差か。北進する者の行方は暗い。

十一日(水)
 数日前から猛烈な風邪に襲われる。苦しい事、たとえ方なし。併し学校は休まざりし。
 夜、北寮へ行ったが、直ぐ帰った。淋しいからだ。淋しさは何処から来るのだ。やり切れないが、現実だ、何処まで落ちる。
 若し寒い北風が吹くなら、吹かれよう。それに乗って暖かい南の国へ行けるから。


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2009-3-21 15:41
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 成瀬孫仁日記(七)昭和十七年九月~昭和十七年十二月
昭和十七(康徳九)年十一月

   ラグビー部が全満優勝
十七日(火)
 十一月と云うのに昨日は雨が降った。変な天候が続く。

 ラグビー部が優勝、全満征覇、内地遠征は確実。めでたい頑張れ。勉強!! 勉強!! 勉強!!試験!! 試験!! 試験!! 何と恐ろしい言葉だろう。追われないで追うような生活がして見たい。 大いに朝寝をして眠が覚めたのが九時十分前。朝飯も食べずに学校へ飛んで行った。学校で兎に角授業している問は気が晴れて悩みを忘れる。終ると馬鹿な悩みにひたる。本当に馬鹿な悩みだ。自分で脱出の方法を知らない。

 山中がフシダラナ生活の結果か、落ちることが確定したらしい。彼の机の上にはギボンの「ローマ帝国興亡史」が十冊程並んでいて、之ばかり読み、之で世の中を渡るのだと高言している。名前は挙げなかったが、此の事に閲し胡麻本先生の切々たる辞あり。

※全満高専大会の決勝戦は、大連グラウンドで、旅順高校との間で行われ、9-0、22-3の31-3の大差で圧勝した。全満制覇は昭和12年、14年についで三回目。三年生メンバーはキャプテンTB:高取保夫FB:河原史郎、FW:立石(現川野)秀基、日下(同長原)正道、作間隆美の五人。戦局急を告げ、翌18年正月、大阪・花園ラグビー場での全国高専大会出場は実現しなかった。

         (成瀬孫仁日記(八)につづく)


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あんみつ姫

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