メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 弐銭銅貨。一文菓子屋。 変蝠林 | 投稿するにはまず登録を |
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編集者 | 投稿日時: 2011-7-12 8:24 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
弐銭銅貨。一文菓子屋。 変蝠林 はじめに スタッフより この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への投稿(2008/11/23)を、投稿者またはご家族(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。 ---------------------------------------------------------- 何時も御小遣いは一日壱銭でした。 五厘、と半銭も通用して居りました。 其れで近所の駄菓子屋に通いました。 偶に来客から弐銭銅貨を貰いました。 径が四糎もある其れは重量感が有りました。 弐銭銅貨を使う時は度胸が必要だった記憶。 |
編集者 | 投稿日時: 2011-7-12 8:26 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
Re: 弐銭銅貨。一文菓子屋。 マーチャン 変蝠林さん、大正生まれの皆様
引用: 何時も御小遣いは一日壱銭でした。 ええっ。弐銭銅貨というのがあったのですね。 2000年に「二千円札」というのが出ましたが (その後余り目にすることはありませんが) それまで、私はお金はの単位は「1」「5」しかなかったものとばかり思っていました。 また、当時というのは、大正末期から昭和初期のことでしょうか。 当時の駄菓子屋さんは、どんなものを売っていたのですか。 |
編集者 | 投稿日時: 2011-7-12 8:28 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
Re: 弐銭銅貨。一文菓子屋。 変蝠林 引用: また、当時というのは、大正末期から昭和初期のことでしょうか。 大正十五年の入学ですが昭和何年まででしょうかね。 昭和五年の卒業までには相当の変化がありましたね。 六年生の頃には、少年倶楽部が50銭でしたからね。 お駄賃を貰ったのは二年生くらい迄ではと思います。 駄菓子屋では先ず、おでん、ところてん、ラムネ? 尤も、お小使い一銭はガッコウに行くまでの話です。 めくりなんてのがあって、宝籤買いは今でも惰性で。 特記: 肺病病みの親戚に見舞いに行く時、敷島を吸わされ。 当時、煙草と煙草盆は普通家庭の必需でありました |
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