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   大正の時代
     大正人の責任。 変蝠林
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投稿者 スレッド
編集者
投稿日時: 2011-6-17 8:36
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
Re: 大正人の責任。 不虻

 千葉の小猿さん

 大正期の不虻ですが、レスが遅くなって済みません。
 
 終戦から昭和24,5年までの日本の大問題は、一千万人の餓死者が出るかもと言われた食糧危機問題とややもすれば超インフレに移行するかも知れないインフレ処理の問題並びにエネルギー、原材料不足でにっちもさっちも行かなくなっている鉱工業生産停滞の問題でした。

 こんな状況下で、有澤広巳・東大教授等の提唱したのが「傾斜生産方式」でした。これによりあらゆる物資の割り当てや資金供給などを石炭、鉄鋼、化学肥料に集中しました。

 当時私は商工省に勤務、と言っても新米そのもので何も知りませんでしたが、昭和22年に名古屋商工局に転勤したとき、化学肥料担当を命じられ、四日市に幾つかあった硫安工場に日参し、増産のお手伝いをしたことを微かに覚えています。

 その後、食糧不足はエロア、ガリレオ援助に依る食糧輸入で、インフレは、預金払い出し制限,新円発行、隠匿物資の買い上げ、財産調査、そして所謂ドッジラインにより、生産停滞は傾斜生産方式、最後は昭和25年に勃発した朝鮮戦争の「特需」により解決していき、昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と言われたのは御承知の通りです。

 長々と御免なさい。 
編集者
投稿日時: 2011-6-15 14:51
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
Re: 大正人の責任。 千葉の小猿

 大正期の方々へ レス遅くなりましたが

引用:
戦後の我武者羅な復興労務の中で得た経験等を是非共。


 これはぜひ残していただきたい内容です。
 聞いた話ですが「傾斜生産方式」ということで食料とエネルギー(肥料と石炭に)に極めて少ない資源を集中したと聞いています。
 私の年代は昭和30年代半ばからですが「傾斜生産」の延長上にあると思います。
 敗戦処理からこの時代のことは今後もし同じような危機があっても教訓として重要です。
 ぜひお願いします。

編集者
投稿日時: 2011-6-15 14:48
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
大正人の責任。 変蝠林
 
 はじめに

 スタッフより

 この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への投稿(2008/10/10)を、投稿者またはご家族(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。

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 大正人のみなさま:

 此の折角の部屋がやや閑散と見受けられます。
明治の父母や日露戦争の勇士に囲まれて育った所為か大東亜戦争の 惨めな惨敗に変な責任を感じてるのでは?

 此処で沈黙して居ては、却って無責任を免れ得ません。
 戦後の我武者羅な復興労務の中で得た経験等を是非共。

 
 資格無しの   変蝠林(1917-)
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