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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     『捕虜たちと生野』 佐藤文夫
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編集者
投稿日時: 2010-10-24 8:54
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
『捕虜たちと生野』 佐藤文夫

 二度あることは三度とはよく言ったものだ。太平洋戦争の末期、軍需工場の疎開で和歌山の住友金属から英米などの捕虜四百四十人が生野鉱山に移動し、強制労働をさせられた。

 ところが、苦しく辛かったはずの生野に、平成十六年八月十五日、ジョン・フィリップスさん(当時年齢87歳)、ロバートボグソンさん(82歳)、ジョージ・ダンパーさん(84歳)、エリック・ロビンソンさん(82歳)ら四人の元英国空軍兵とその家族の一行が生野にやってきた。
 
 すると、その話を聞いたのか、その翌年の三月三十一日、あすは町村合併で朝来市となる日に、元英国空軍兵士デビット・ラッセルさん(85歳)が家族と共にBBC放送の第二次大戦六十年の番組取材に記者同伴で来町し、これで執筆中の自叙伝の最終章が出来ると、よろこんで帰っていった。

 もう元捕虜たちも九十歳前後になるはずで、こちらでは生野の思い出も語り草くらいにしかならないだろうと思っていた矢先、今度は元英国陸軍兵士故ウイリアム・リーバーさん(1980年に66歳で死去)の長男ジョン・リーバーさん(62歳)とその妻ヤッキーさん(62歳)、次男のダニエルさん(36歳)の三人が通訳同伴でやってきた。

 ウイリアムさんらは、三十年前に亡くなった父の遺品の中に、収容所で綴った捕虜仲間の住所録を発見、捕虜たちが生野を引き上げた昭和二十年九月九日を期して、今年の九月九日にやってきたというわけだ。

 本人に代わって、子や孫がやってくるとは。まだまだ生野と彼らとの縁は切れそうにない。来町にあたって、父親の墓石の砂利を持参してわれわれにくれたり、収容所跡でローソクを点してお祈りをしたのには驚いた。

 このように戦後六十五年たっても、こんなに頻繁に来町するようになったことの起こりは、最初の四人の誰かの息子ノーマン氏がインターネットで生野銀山や生野で検索していたところ、生野中学に英語教師として来ていたサピーナ(カナダ人)の生野のホームページにヒットし、友人だった私の息子に「もし、元捕虜が生野に来ても、捕虜のことを知っている人がまだいるだろうか」と相談したのがきっかけだ。

 息子からその話を聞いたとき、わたしは捕虜のことは覚えているから案内くらいするよとは言ったものの、はて一体なにを言い出すか分からないぞという一抹の不安もあった。この不安は役場でも同様だったらしく、車や費用ぐらいは出すが、歓迎するというには至らなかった。

 しかし、POWで捕虜のことを調べられている福林先生と打ち合わせをするうち、そんなことは杷憂に過ぎないことが分かり、一転して歓迎ムードになった。

 わたしは、三回におよぶ彼らの来訪を通じ、元捕虜たちやその家族が、いずれも満足し、また安堵して生野町を去っていったことに望外の書びを感じている。

 いま思い返すと、まず物のない時代の銃剣下の強制労働である。色々とトラブルはあったにしても、結局ひとりの犠牲者も出さなかったこと、それから生野で終戦を迎えたとき、わずかな間だったにせよ、B29の救援物資をめぐって住民との問に交流が生まれたこと、加えて使役企業側の三菱鉱業、させられた側の捕虜たちも、共に紳士だったことなどが来訪が続いた原因だろうと思う。

 梅林先生らの著書「捕虜収容所補給作戦」B29部隊最後の作戦によると、終戦時には国内七箇所の本所の傘下に、分所八十一、分遣所三があり、合計三万二千四百十八名の捕虜が収容されていたが、終戦を見ずにそのうち三千五百人が死亡している。この八十四箇所の収容所のうち、死亡者なしは十八箇所に過ぎない。

 国内収容所における捕虜虐待(暴行・栄養失調・過労等)による戦犯は百二十一人(うち死刑二十八人)に及んでいるが、この事実を顧るとき、収容人数最多にも拘わらず、死者なしというのは誇るべき生野町の歴史と思う。その為かくも繁々と来町するのだろう。

 四百四十人の元捕虜たち、ほんとうに生野でよかったと自信を持って言いたい。
 







 2004年、第一回訪問時









 2005年、第二回訪問時









 2010年9月9日、当時の捕虜のご子息等の訪問
 後列、右から2番目、投稿者 佐藤文夫氏






 


 2010年9月9日のスナップ

 






 2010年9月9日のスナップ
 右端は、投稿者 佐藤文夫氏









 2010年9月9日のスナップ
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