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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     悲しい歌_ペリリュー島 とんぼ
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編集者
投稿日時: 2010-3-14 7:44
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
悲しい歌_ペリリュー島 とんぼ
 先の大戦で、南太平洋の小島で日本とアメリカが死闘を演じ日本兵1万人余が玉砕した。アメリカ側にも死傷者一万人を出した戦史の残る激闘の島となった。
 その島は戦前日本の統治下に置かれたパラオ共和国のペリリュー島である。

 日本語をはなす老人は少なくなったようだがいまでもいる。石松だのシゲオとか日本名を持った子供もいたという。

 3年前、ペリリュー島へ鎮魂の旅に行った折、同島出身のシンゲオさんと出会った。
 80歳くらいのOBAK(大酋長)で日本語はすこし聞きにくいがさすがと思わせる風貌をしていた。

 「この歌は悲しい歌ですが“緑の島の墓”とゆう歌です」といってサインペンで手書きした歌詞を配って歌ってくれた。

 こちらは酒が入りその歌のことはあまり覚えていなかったが後で歌詞を見て、作詞・作曲ともパラオ人であることを知ってどんなメロディーか無性に知りたくなった。

 翌年、パラオ再訪したとき尋ねる機会がなかった。
 3度目に訪れたときはシンゲオさんは亡くなり、残念ながら墓参りになってしまった。

 だが作詞者と書いてあったアントニア・ウエンティさんは未だペリリュー島で生きていることを知って手紙のやりとりで楽譜を手に入れることはできるのではないかと思ったがそれも果たせずに一年が経ってしまった。

 先月仲間が恒例のパラオ往訪で遂にテープを手に入れ一昨日手元に届いた。
 カセットテープのケースには「第14師団戦車隊 田中将一氏の遺族 田中泰邦氏からウエンティ氏に贈られたもの」と記してあった。


 緑の島の墓

   作詞;アントニア・ウエンティ、
   作曲;トンミ・ウエンティ(ご夫婦で共にパラオ原住民)

 遠い故郷から はるばると
 お墓を参りに ありがとう
 みどりのお墓の お守りは
 ペ島にまかせよ いつまでも

 海の中にも 山の中
 ジャングルの中にも 土の中
 英霊よ よろこべ 安らかに
 一緒に暮らそよ とこしえに

 ペ島の願いは 唯一つ
 日本とペリリューは 親善の友
 かよわい力 よく合わせ
 知らせておくれよ 祖国まで

 伝えておくれよ 祖国まで
 父母兄弟 妻や子に
 僕らはみどりの 島暮らし
 涙をおさえ さようなら
 涙をおさえ さようなら

 元副大統領Chinさんが言った言葉が忘れられない。
 「兵隊さんが日本で生きた歳月より、その兵隊さんがペリリューにいる歳月の方が2倍以上長いのです。私たちがしっかりお守りしますからどうかこの土地の人にしてください」

この歌を聴くには次のURLをクリックしてください。
(ファイルサイズは4MBほどあります。)
http://fmellow.s103.xrea.com/music/2394.mp3
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