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     イレギュラー虜囚記(その1)
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あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:36
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
イレギュラー虜囚記(その1)
      哈爾浜《ハルピン》学院21期生     福岡 健一(1994年 記)
 満洲電々でアナウンサー教育-学徒出陣

 昨秋出版された12期梶浦智吉先輩の遺稿、『スターリンとの日々』-「犯罪社会主義」葬送譜-や、内村剛介の著書などを見ると、ウ~ム、これぞ第一級?のソ連捕囚記の感を深くするが、それに比べると、吾がシベリア捕虜生活など物の数にも入らない。軽くて、呑気で(鈍感でと言うべきか)、一種の可笑しみさえ感じられる。

 そもそも、関東軍《注1》の抵抗中止直後、最初のソ連軍との出合いが、「お前達、赤軍(クラスノアルメイツィ)か自衛軍(ベログヴァルディア)か」と呼びかけたら、「おれ達は赤軍だ」と返事が返ってきたのを見ても推して知るべしだ。市販の各種シベリア苦労話も、それはそれとしてロシア語の解る日本軍下級将校の満州終戦始末記やシベリア呑気節もまんざら捨てたものでもなかろうと思い、ポームニム《露語=忘れるもんか》 誌上に紹介することとした。

 これは「思い出の記」ではあるが、資料はシベリアから復員後直ぐ書きとめた数十ページにわたるメモである。一部はポームニム4号に伊藤清久追悼記として発表した。今回はそのメモを一からたどって、興味の持てそうな箇所を原文通りにピックアップすることにした。表現が生硬《せいこう=未熟》でところどころ軍隊調が混じるが、ご容赦を。

 さて、標題をイレギュラーとしてみたが、考えてみると、イレギュラーは、捕虜生活だけでなく、ずっと以前から私自身に付いて回っていたように思う。
 大阪のいわゆる進学校から学院に飛び込んだのがそもそもの始まり。学徒動員《がくとどういん=戦時の強制的に学生に労働を強いる》を食らって入営までの間、割り当てられた就職先が先輩一人だけの満洲電々《満州電信電話株式会社-》
新京本社では、ウムを言わせず《販路運の出来ないまま》アナウンサー教室へ。若い男女十人余りに混ざって一日中小学読本の「国語の力」や島木健作の満洲紀行「勃利《ぼつり=中国黒龍江省の七台市の行政区》にて」などの反復朗読練習。森繁久彌に習ったのかも知れない。

 新京へ赴任の際、赤紙《軍隊への召集令状》を突っ込んでおいたボストンバッグを哈爾浜駅でショーハイに置き引きされた。見送ってくれた級友の誰かに手続きの代理を頼んだが、哈爾浜の兵事部で「召集令状の再発行など聞いたこともない」とえらく叱られたそうな。申し訳なし。赤紙
は廣田弘道君が電々まで届けてくれた。人事部では、アナウンサーは召集免除のはずだと方々へ照会したようだが、出陣学徒《注2》には例外なしとのことでガッカリした。それでも、入学前に「満洲電々放送総局放送員」という堂々たる?辞令をくれた。

【注 満州電々には先輩一人と書きましたが、広島在住の19期藤田鹿之さんから昭和16年3月、藤田さんのほか鬼木勝郎(福岡在住)、園田正文(岡山)、清水敏万(戦死)、故本田貢(和歌山)さんの五人が入社と申し入れがありました。】

                        (つづく)
注1 中国東北部の日露戦争後ロシアから譲り受けた租借地 主に旅順、大連地区並びに満州に駐留した 日本軍
注2 1943年(昭和18年)10月学生に与えられた徴兵延期が撤廃され旧制大学 高等専門学校学生(文科系)を学窓から徴兵した


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:39
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
いよいよ十二月一日。石渡大尉に連れられて21期、22期十数人がゾロゾロ入ったのが遼陽《りょうよう=中国遼寧省の省都》の満洲第三〇三部隊(29師団輜重兵29連隊)。
人事係下士官が名簿を見ながら点呼。岡崎(赫生)は即日帰郷《軍人に適さないと判断され召集当日召集解徐される》
廣田は自動車の第三中隊、久野(公)や馬場(正治)、成瀬(孫仁)、城所(尚爾)らが輓馬の第一中隊。中隊の下士官に連れられて行ってしまった。

営庭に残っているのは名簿を見返している人事係と私一人。名簿外れ?で即日帰郷かとワクワクしていたら、「お前は何だ」ときた。名前を言ったら名簿を調べ直して、「二中隊だ。ついて来い」と、営庭の反対側の兵舎へトボトボ牽かれて行った。なぜ一人だけ千切れたのか未だに分からない。イロハ順の人数割りで余ったのかとも考えたが、あと順の松本五朗が一中隊だから話が合わぬ。

 班内で一人ポツンとしていたら、夕方になってドヤドヤと入って来たのが、建大《建国大学》、新京法政、大連高商、旅順高校の連中。中には父兄同伴もいて、親父が班長によろしくお願いしますと挨拶していたのには驚いた。これが私の隣の寝台にきた旅順高校のKというトロい男。第一次幹候試験にも受からず、十九年二月の師団南方転出に連れてゆかれた。サイパンかグアムで戦死だろう。
試験に受かった幹侯は一中隊に集められたので、やっと皆と一緒になれた。

遼陽師団の南方転出で残された学徒兵員は哈爾浜の28師団に転属。輜重隊はミルレル《ハルピン郊外の町》兵営にいた。三ヶ月前まで馬術部で馬を借りていた部隊で、境遇の激変にガックリした。ここでは。学院班とその他班に分けられたが、その他班は駆け足訓練と称して、キタイスカヤやスンガリー《ハルピン市の中心街》に出かけているのに、学院班は一歩も街へ出してくれなかった。逃亡するとでも思ったのか。

間もなく師団はチチハル《中国黒龍江省の第二の都市》へ移動。甲幹試験《甲種幹部候補生への試験-》の合格者は五月一日、牡丹江《中国東北部黒龍江省の都市》の輜重兵幹部教育隊へ。ここでの生活は、馬場が「牡丹江予備士官学校《予備役の将校を教育する学校-》の日誌から」と題して、ポームニムに発表している。

 さて、十九年十二月上旬、見習士官になったが、諮師団は宮古島に移動してしまって船はなし。
 その頃既に関東軍は有力な師団も部隊も持っていなかったようだ。
結局、約三十人のアブレ見習い士官は奉天《中国東北部遼寧省の現在の瀋陽》の北陵近くの関東軍通信教育隊将校練習隊に移されて、今度はトッートッーの教育を受ける仕儀となってしまった。押し付けられた教育隊も迷惑顔がアリアリ。われわれも、馬の尻を洗っていたのが、真空管の原則だの電気抵抗のオームだ、ファラッドだとワケの分からぬことを詰め込まれてやる気なし。

隊舎は張学良《ちょうがくりょう=注》の造った東北大学の建物で、将校練習隊は二人一室。到着の夜ストーム《学生が集団でどんちゃん騒ぎする事》をかけられて驚いたり喜んだり。岡本かの子全集や岩波文庫をせっせと読んだ。

 二十年三月に入ると逐次転出者が増え、城所も割り当て就職先の四〇〇部隊(第二航空軍特種情報部)へ赴任した。四月上旬の本土防衛ではゴッソリ減って、軍通信関係で残ったのは池田栄と私だけになってしまった。
このままどこかの通信隊に出されたら、生え抜きの兵隊になめられると思ったので、日満商事の奉天支店にいた祖泉隆平経由で新京の関東軍司令部第二課にいた内藤操にアプローチ、四月卅日付けで四〇〇部隊付きの命令を受けた。
内地から来た学徒兵は、哈爾浜学院の人は軍隊内でも自分の勝手で移動できるのかとびっくりしていた。

 祖泉の寮へ連絡に行ったら、彼にも召集がきていて五月一日に東満の部隊に入るとのこと。こちらの着任を一日ずらして新京まで同行することにした。奉天のミッシャにいた20期の青木譲さんがロシア人を集めて送別会を開いてくれた。
                         (つづく)

注 中国の政治家で 華北方面の軍事政権を掌握していた


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:44
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
   四〇〇部隊で城所、成瀬、瑠璃垣、鈴木と合流。中村博一も。

 さて翌日、四〇〇部隊に出頭したら、副官に絞られた。
何の連絡もせずに着任を遅らせるとは何事。成瀬見習士官に車をつけて新京駅へ迎えにやったのに終日待ちぼうけを食わせた。これだから学院生は困る。軍属に案内させるからすぐ孟家屯《中国東北部新京(現在の長春)市内の町》通信所へ行け。隊長の不破(守次郎)少尉(20期)は入院中だ。貴官をいれて学院同期の見習士官が四名揃う。
何をやらかすか分からないので、時々偵察に行くから覚悟しろとおどされた。

 畠の中の通信所に行くと、いるいる、城所、成瀬、瑠璃垣。鈴木淳栄だけはずっと本部勤務だった。ソ連空軍の無線傍受は二十四時間体制で専門の軍属がやっており、われわれはその日の結果を聞くだけ。週番士官《週間交替で朝夕の点呼や夜の見回りを主任務とする将校》を日直制にしてあとの三人は外出。
おかげで新京神社の祭や津川盛(9期)先輩宅、内藤(操)の寮にも出かけて、婚約中の奥さんにも紹介された。

 ただし、気楽な暮らしもーカ月で終わり。二十年六月一日付けで四〇〇部隊は改編、名称が羽八三二四部隊となった。城所が牡丹江のすぐ西の海林の情報第一中隊付き、私が同じく第二中隊、成瀬が楡樹屯《ゆじゅとん=中国吉林省の町-》の第三中隊、瑠璃垣は孟家屯、鈴木は本部付きそのまま。

翌日、第二中隊長の田中大尉と兵七名、それにわれわれ二人が海林に向かうことになったが、どうしても哈爾浜を一目見ておきたい。
そこで、種々整理しておくべきことが残っているのでと口実を設け、風邪気味の中隊長に兵隊をおしつけて途中下車。

先ず学院へ顔を出したら、梅村学監が召集を受けて少将の軍服を着ていた。閣下と見習士官では大変な違い。早々に辞退して、それぞれ名残を惜しむベき処へ行くこととし、夜は半田(清春)先生の留守宅に泊めてもらうことになった。
私は女友達のニーナ・シチュルパコワの家を訪ねた。完全軍装で不意に現れたので驚いていたが、一家をあげて大歓迎をしてくれた。終戦でどうなったか。
                          (つづく)


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:46
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
さて翌日、哈爾浜を発ったのはいいが、一情中《第一情報中隊》の石田少尉は名だたる暴れ者の噂があり、二人ともぶっ飛ばされるのを覚悟した。
海林に近づいて列車の窓から見ると、プラットフォームに数人の将校の姿があり、駅前にオープンカーや乗用車が止まっている。

てっきり地区司令官が帰ってきたのか、えらい人の視察かと思って一番あとからゆっくり下車してブラブラ改札口に近づいて行くと、何とわれわれの出迎えで、田中大尉、石田、武藤の両少尉、運転手の兵隊達であった。
田中大尉から「新任の見習士官としては元気がない」と怒鳴られた。車を連ねて営門に入ったら、衛兵司令《営内の警備や取締りを任務とする将校》が二十期の田中睦男氏であった。
一情中に暗号解読担当の通訳生として中村博一がおり、われわれが週番士官で点呼をとっていると列の後ろの方でニヤニヤ笑っていたものだ。

 情報中隊は軍属中心の傍受班と解読班があり、将校は二ヶ中隊で六名、下士官が多く、兵隊はこれまた五~六名、合計八十名程度という変わった編成になっている。
海林には、電波発信地を探索する標定中隊が付随しており、これはまだしも通信隊としての体裁を保っていた。これを合わせて総計約一五〇名が、沿海州《注》に展開するソ連第9航空軍(9BA)の動向を四六時中探っていたのである。

七月に入ると、9BAの無線通信が極度に少なくなって、いわゆる無線封止の状態に入った。作戦準備開始と見られるので、新京本部から高級将校が多数海林に集合し、種々状況把握に努めたが、無線情報で敵の攻撃開始を判定することはまず不可能である。

八月に入って、いったん高級将校が新京に引き揚げた直後、九日払暁、ソ連軍の満州侵攻が始まる。
                  (つづく)

注 ロシア極東部のプリモスキー地方で日本海に臨む地方 ウラジオストク港がある


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:51
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
   ソ連軍が国境全正面で侵攻開始 - 開戦

 昭和20年8月9日 曇 
早朝、「日ソ開戦!起床!」との週番士官城所の声で飛び起きる。「いよいよきたか、死ぬ順番がちと早くなったようだ」と思う。非常呼集《突然の集合命令》で、官舎の軍属も次々に出勤してくる。
 通信室の傍受状況は、無線電話が増加した程度で、特に顕著な変化は見られず。

 午後よりの空襲を予期し、部隊本部屋上の櫓に対空監視哨を置き、衛兵《警備 取り締まり役の兵》増加配置。週番士官は日直制とす。遮光幕取り付け。
 第二中隊長田中大尉が中隊全員を集め、「俺は南方歴戦の勇士だ(註-戦闘機乗り。病後、情報隊勤務)。俺について来れば心配いらん」とえらく気合が入っている。
                       
 新京のラジオは、女のアナウンサーが「何という卑怯なソ連でしょう」と金切声をあげている。政府高官が協議を続けているとか。

 夕刻に近づくにつれ、9BA(沿海州ソ連第9航空軍)の通信が激増し生文、無線電話も活発化す。五月頃から昨日に至る無線封止が嘘のよう。電話は、「ムーリン上空重量五〇〇」「航空地図送れ」「探照燈を移動せよ」等さしたる情報なし。「パリマトリー」と呼名を連呼する女の声が耳に障る。前線基地を呼ぶのか。何が勝利(パリマ)の冠だと腹が立つ。

 8月10日 晴 暑  
通信状況昨夕と変わらず。9BAの暗号無線、生文《なまぶん=暗号を使わない平常語》無線電話しきり。敵機現れず、友軍機の姿も見えず、戦場末だ遠きにありの感。

 8月11日 晴 暑  
早朝より、東方牡丹江《ぼたんこう=中国東北部黒龍江省の街》上空に敵機多数現れ、急降下銃爆撃開始。我が方の反撃らしきもの一切見えず。早くも、ムーリン《牡丹江の北東にある町》が突破され、敵戦車部隊牡丹江近辺に接近中との情報あり。

 本日昼すぎ、初めて敵3機編隊海林上空に侵入、駅中心に銃爆撃を反復。敵機の色真黒にてカラスに似たり。翼下から白煙をシゥーと吐きつつロケット弾が東満殖産の味噌工場に命中し、忽ち炎上。敵機は専ら海林を集中攻撃し、我が方に来らず、全員状況を十分に観測す。

 本日敵機終日牡丹江上空を乱舞。我が隊の所在する飛行場地区に、航空士官学校分校あり。赤トンボ20余機保有しあるも航空戦力たり得ず。夕闇を待ち、老黒山上空で編隊を組み敦化《中国吉林省延辺朝鮮自治区の町》方面へ撤退。

 甲系電話(註-直通普通電話)新京本部に通ぜず。無線を連続送信するも応答なし。情報を収集しても報告手段なく孤立感深まる。
(註 後で知ったが、新京本部は家族の後退、本部の移動準備などに忙殺され、その後、出先各隊に何等の指示、連絡もせず一挙に旅順まで撤退したとのことである)。

 焼却炉と兵舎の全ペーチカ《ロシア風暖炉》で重要書類の焼却を始む。全員汗びっしょりになるも書類量厖大のため作業進まず。

 夕暮れになっても、牡丹江上空の敵機は、ほぼ40分間隔で5~6機づつ攻撃を続ける。夜空に火焔映える。敵航空基地の所在は、時間間隔でも、通信傍受でも判然としない。

 田中隊長と武藤少尉牡丹江東郊の掖河《えきが=牡丹江から北方1キロの町》兵器廠から帰隊。軽機《軽機関銃》、小銃、拳銃、軍刀、手榴弾等多数受領し来たる。掖河東岸地区の磨力石附近にて敵戦車と激戦中の由。

 部隊前の道路上は撤退部隊の車両、輜重車《しちょうしゃ=食料弾薬等を運搬する車》で大混雑。撤退貨物列車も次々に見え、機関車のみ連続汽笛を鳴らして、全速力で牡丹江へ逆行する。
                         (つづく)


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-5 11:53
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
 8月12日 快晴 暑気厳  
暁方、隣接する海林地区司令部炎上。謀略かと見たが間もなく、地区司令部より通達あり、海林所在の各部隊はそれぞれの本隊へ引き揚げよと。

兵舎の窓硝子をすべて破壊し、室内備品、各自の私物を床に撒き散らして焼却準備完了。一同乾杯。

 続いて、司令部より、海林駅に列車準備しあり、急ぎ乗車せよとの通達あり。軍属家族は一人トランク一個。駅まで二粁弱、特種受信機をはじめ、重要機材を真先に送り出す。

兵舎以外の通信室、倉庫、格納庫などに火を放つ。黒煙濛濛として一面薄暗くなる。飛行場の燃料庫に火が入って、ドラム缶が大爆発を起し小山のような粘っこい焔を吹き上げる。流出したガソリンが我が隊の方向に迫る。地区司令部は完全に焼け落ちた。

 午前11時、最終トラックで駅に向う。海林市内は中国人、朝鮮人が右往左往し、邦人住宅の家財を運び出しあり。一ケ月程前から朝鮮人が赤腕章を巻いているので義勇隊かと思っていたが、ソ連軍の進攻を予期した識別用であったらしい。成程と妙に感心する。

 駅の列車には、既に地区司令部全員とその家族が乗っており、我が方も急ぎ通信機などを積み込む。二連装高射機関銃が設置され心強い。敵機上空にあるも何故か攻撃してこない。乗車完了を待って叩く気か。

 出発準備ができた頃、突如喜野隊長より命令あり、田中大尉以下自分の小隊22名は、自動車行軍にて哈爾浜経由新京《しんきょう=中国東北部吉林省の現在の長春》本部に至るべしと。これで本隊とお別れ。トラック2輌で元の兵舎に引返す。
軍属たちは本隊とともに撤退したい様子ありあり。無理もなし、トラック行軍は途中の暴徒、満軍《満州国軍》の襲撃を覚悟せねばならぬ。

 本日暑熱焼くが如く、加えて地上各所の火災、爆発のため、焦熱地獄もかくやと思わる。直ちに行軍準備開始。燃料ドラム缶各車3本、食糧一週間分、弾薬多数を積込む。

海林上空の敵機が攻撃を始む。機関砲の音激し。本隊の無事を祈りつつも、自動車行軍の方が空襲時の待避は容易だと考える。

出発前の小休止中、思いがけず本隊帰着。海林地区の撤退は時機尚早、別命のあるまで現地を死守せよとの命令の由。牡丹江の第五軍の命令か。
 兵舎を残しておったので直ちに空中線を展開し、夕刻傍受可能となるも、新京本部と連絡取れず空しい努力ではないかと感ずる。

 敵戦車は既に牡丹江正面に達した模様。友軍の軽戦車10数両全速力で横道河子《おうどうこうし=中国黒龍江省の海林市にある町》方面に撤退。トラックの後退が激増し、終夜エンジン音が響く。

 昨日から、夕暮れの敵機のいない間、九七偵《陸軍九七式偵察機》がブルンブルンと飛ぶ。戦争中友軍機を見たのはこれ一機だけ。本日高射砲一門海林に入り鎌首をもたげて頼もしかったが、何時の間にか影も形もなくなっていた。

 本日午後、連絡に出た城所が、引揚げ列車は今日で最終との情報を掴み、機関車で飛んで帰ってきた。曹長ほか兵三名を付け軍属家族を送り出し、無事牡丹江の最終列車に乗車せしむ。牡丹江市内は避難民で溢れているとか。

                          (つづく)


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-6 22:57
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
 8月13日 晴 暑 
 
拳銃射撃の練習ついでに地区司令部を覗く。
兵隊は焼け残った被服倉庫の棚に蚕のように並んで寝ている。司令部の戦闘部隊は飛行場大隊の佐々木警備中隊のみ。
我が方の軍属主体の未教育部隊と共同してもさしたる戦力なし。落下傘兵でも来れば万事終り。敵の航空前進基地になる恐れあり警戒を要す。

 本日も早朝から牡丹江、海林の空襲続く。時々敵1~2機が気紛れのように我が方や地区司令部を襲う。被害なし。三八銃《明治38年制定の小銃》で応戦するも効果を認めず。
無駄な行動は敵の注意をひくので大人しく格納庫の煉瓦壁に待避する。機関砲弾が壁に当たってカランカランと賑やかな音をたてる。

 無数の中国人が官舎街を襲い、物品略奪。屋根に上る奴もあり、図々しいのは裏庭にまで入って来て追い立てられている。
婆さん一人を掴まえて衛兵所《営内の警備 取り締まりを行なう詰め所》前に一晩縛り付けておいた。蚊に食われてブクブクした顔で帰って行った。

 敵の通信状況は最盛時の感あり。無線電話で数字暗号も送っている。

 夜、海軍陸戦隊がウラジオに逆上陸したとの噂あり。牡丹江憲兵隊の口伝網《口伝え方法による伝言の組織》による元気付けらしい。海朧では小銃により敵機を撃墜したとか。試しに牡丹江へ電話したら交換嬢が出た。撤退を勧めたら最後まで頑張りますと健気な返事。
 牡丹江正面の敵戦車は、一応ムーリン方向へ撃退せりと。戦況やや小康を得た感あり。

 午後8時すぎ、ゴウゴウたる爆音を響かせ、初めて敵爆撃機大編隊新京方面に通過す。
 五軍司令部より、敵戦車約三〇〇磨刀石《黒龍江省ムーリンにある町》東方に集結中につき友軍機で叩いてくれるよう二航軍司令部へ連絡頼むとの電話あるも、当方も新京との通信杜絶しあり方策なし。
友軍機健在とも思われず。

 牡丹江正面のわが軍の兵力は、ニヶ師団、実力一ヶ師団で十五糎重砲数門を持つに過ぎず、専らタコツボに拠る肉迫攻撃に頼っているらしい。
石頭、牡丹江の幹部候補生隊も大部分肉攻に出たとのこと。敵戦車10数両を擱座せしめたりと。(註-作間が掖河にいたとか)


 8月14日 快晴 暑  

早朝から時々敵機来襲するも被害なし。午前中、小銃、軽機の実包射撃訓練。軍属の中には小銃の扱い方もよく知らないのがいる。兵の中で軽機の実包射撃経験者は石田軍曹のみ。中村隊(標定隊)《電波の発信地を探索する部隊》は初年兵を差し出してきた。
ひどいものだ。それでも何とか全員弾丸だけは発射できるようになった。

 牡丹江方面からの避難民が疲れ切って部落内に辿り着く。休ませたり食糧を与えたり。子供や跣《はだし》の女の人もいる。それでも少しでも敵から離れようと急ぐ。気の毒。

                           (つづく)


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-6 23:04
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
  玉音放送に呆然 - 出陣式でドンチャン騒ぎ

 8月15日 晴 暑気強し  
午前中軽機の射撃訓練。K軍曹急性盲腸炎を発す。海林市内で、後退中の野戦病院に出合い引き渡す。昨夜の点呼時行方不明となっていた中村隊の初年兵二人、市内の朝鮮人宅で発見。
昭和生れの兵隊はロクでもないと古兵たち憤慨。他中隊の兵のことなので立ち入らぬこととす。

 11時頃、地区司令部より通知。本日正午重大放送あり必ず聞くべしと。ラジオは三日前処分したので受信機の調整を行い、正午二分前漸く完了。拡声器に接続。

 全員営庭に整列。中隊長三人、レシーバーを耳に当てる。雑音が多くて聞き取り難いが、隊長によれば、陛下の直接の放送とのこと。
 君ケ代に続き、陛下の低い声が流れる。言葉のアヤが分からぬ。
暑さ厳しく、牡丹江方面の爆発音が地鳴りを伝える。幸い敵機の来襲なし。

 最後の時がきたので一層奮励せよとの意味に解していたが、アナウンサーの声の調子や閣僚が陛下の御意に泣いたとか様子がおかしい。レシーバーで聞いている隊長を見ると涙を流している。
田中隊長が将校集合を命じ、日本は降伏したと言って涙で声も出ない。
一同呆然。眼前の大道がガラガラと崩れてハタと行き詰まった感じ。敵が目の前に迫っているのに、後ろの方で突然や~めたと言われても困るではないか、こんなことなら何故戦争など始めちまったのかと腹も立つ。

 全員解散となったが、皆放心したように動かない。やがて一人が歩きだすと一同バラバラになって兵舎に入って行った。
 将校のみ将校室に集合。六人黙然《もくぜん=何も言わず黙っている》。喜野少佐が机をどんと叩いて、「国体護持《注》だ。山に入って最後まで戦うが、一旦新京本部に至り爾後の指示を俟つ」と決定。

直ちに自動車行軍の準備に入る。しかし、兵、軍属とも落胆、連日の疲労も重なり動き極めて鈍し。数日来様子のおかしかった老軍属が発狂、軍刀を抜いて暴れる。

 昨日、五軍司令部へ連絡に行った武藤少尉が帰隊しない。途中での負傷を心配する。田中隊長がサイドカーに軽機を載せ、石田軍曹と五軍へ行く。トラック1両同行。

 午後四時すぎ、田中隊長帰営。「おい、降伏はデマ放送だ。五軍参謀部は洞穴に入り敢闘中だ。我々も第一線に斬込みに出る。元気を出せ!」という。一同ポカンとして隊長の顔を見ている。「何をぼんやりしている。出動準備だ」。デマとしては手が込み過ぎ、真実とすればデマというのは陛下への冒涜《ぼうどく=神聖や尊厳なものや清純なものを汚す》

 しかし命令は命令で止むなし。喜野少佐の方針が簡単に覆った。
軍属はどう思っているのか些か心配。Y准尉が来て、「あの隊長と行動を共に出来ません。兵隊一同もそうですよ」と、暗に思い直すよう進言して欲しいと言わんばかり。
「何をいうか、お前達がなめていた幹侯上りの俺でも決心したんだ。十年余りも軍隊のメシを食って今更何だ。帰れ」と追い返す。

 出動準備捗らず。幾ら怒鳴っても状況の激変と斬込みと疲労が重なって身体が動かないようだ。敵機が我々の慌しい動きを察知したか猛烈と銃撃を加えてきた。喜野隊の石田少尉以下八名、トラックで新京本部へ情況報告に向かう。無事行き着けるか。

 午後六時前、漸く準備完了。出陣式。東方遥拝。田中隊長が「俺が負傷したら、構わず射殺して貴官が中隊の指拝を執れ」と言う。
先任将校の武藤少尉未だ還らず。厄介なことだと思いつつ、一発で処置するにはコメカミを射つことだなどと考える。

 式後、ビール、酒、握り飯、甘味品で祝宴。兵舎はヤケ気味のドンチチャン騒ぎ。牡丹江方面の爆発音、海林の大火災、ドラム缶の爆発飛散等、すべて一挙に燃え上がった感じ。 残った通信機、方向探知機、私物等ガソリンをぶっかけて火をつける。

下着をはじめ、総て新品に着替え軍袴のみ冬用を着す。夏袴に財布を入れたまま火に投げ込んで、しまったと思ったが、斬込みに銭は不用と諦める。

 衛門前に車両整列し全員乗車。先頭は喜野、田中両隊長のオープンカー。続いて一情中《第一情報中隊》、中村隊、二情中《第二情報中隊》の隊列で、第二小隊の自分のボロ車両が22名で最後尾。中村隊にはバスが一台交じっていてエンジンの調子が良くない。

兵舎全体の窓から焔が吹き出して立ち木に移る。車上の連中が「熱いから少し前に出て下さい」と叫んでいる中に先頭車が前進開始。全車7両。

 行軍中、奉公袋を下げた朝鮮人20名ほどと行き交う。万歳と見送ってくれる。戦争は終わったと伝えたが、兎に角入営を指示された部隊まで行きますと元気に去って行った。拉古《らこ=黒龍江省海林市の町》手前の丘で小休止。

牡丹江市街の焔が直接見える。掖河方面で噴火のような太い火柱が吹き上っている。炎が立ち上るごとに地鳴りが伝わってくる。兵器廠の処分らしい。

真暗な道端で腰を下していると、カリン糖を半紙で包んで、どうぞと持って来てくれた兵隊がいる。死に行くのにどういう心境で半紙まで持ってきたのか不思議に思う。夜露が冷たい。カリン糖をかじりながら、夜の暗闇の中で死ぬのはご免、明るい太陽の下でなどと考える。

 前進開始。後退部隊、輜重馬匹、弾薬車、トラックなどで道路は大混雑。銃も無く放心したような二~三人づつの兵隊がヘッドライトの明りの中をバラバラに退ってくる。上衣の無いのもいる。前線の壊滅部隊の兵隊だろう。
将校がやられると、兵隊は遊兵《統制の取れないき気儘な兵》となって四散するらしい。何故前進するのかと不審そうに見ている奴もいる。

 漸く拉古病馬廠前に到着。先頭車が営内に入る。衛兵所はロウソクを立てて立哨中。営内はトラック、後退兵で満杯。悪臭を発している食いかけの食器が散らばった内務班《古参兵と新兵とで構成される生活単位》の一つに入り休息。

兵は分隊長に続け、分隊長は俺を見失うな、連絡兵を一名づつ差出せと命令する。後は出たとこ勝負。これ以外に戦闘要領なし。ただ、この辺一帯は昨年の五月から十二月までの幹部教育隊の演習地であり、地形については充分承知している。

一時間ほどして田中隊長より達しあり。「正門前で五軍司令部に出合った。参謀から、第一線は此処だからもう前に出るな。司令部と行動を共にせよ。横道河子で抵抗線を敷く、と命ぜられた。
本日は現在地で宿泊。騒音と人の出入り、地響きなどあるも、気が抜けて全員すぐ眠りにつく。
                           (つづく)

注 国の体面を護り天皇を理論的精神的 政治的によりどころとする国のあり方を護る


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-6 23:06
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
  海林を経て横道河子へ一路撤退

 8月16日 曇 
午前五時起床。干メンポウ《干麺包》をかじりながら乗車。廻れ右して来た道を引返す。途端に、ソ連軍に追いつかれるような気になり全員急げや急げ。幸い曇天のため敵機現れず。混乱の中で武藤少尉の車に出合い燃料を分ける。

チリヂリになって追ってくる兵隊は、帯剣の鞘だけの者、ハダシ、軍帽なし、上衣なし、トロンとした眼で物も言わぬなど軍紀も何もない典型的な敗残兵。(註-東満国境の状況は伊津野が詳しい)

 正午、やっと海林に帰着。兵舎は完全に焼け落ちている。残置した米俵、弾薬、燃料を積込む。燃料庫のガソリン未だ天を焦がして炎上中。

 間もなく本日第一回の空襲。超低空、拉古方面が特にやられている。拉古の第一線に吸収されれば敵機の射程内に入るので急ぎ出発す。隊長のオープンカーはまるでドライブに行くように見える。

 行軍一時間余、朝鮮人部落付近で小休止。軽戦車、弾薬車等無限軌道車は、路肩といわず畠といわずお構いなしに他部隊のトラックを引っかけながら一目散に退却。

 出発直前、敵機、機関砲弾がブッブッと飛来する。常に車両と反対側に退避するよう注意を与える。輜重隊の兵一名負傷。右腕関節にポッンと赤い穴。我が隊の衛生兵が手当。

機銃も案外命中することありと悟り、偽装強化と退避動作の敏捷に努める。約一粁後方は徹底した攻撃に曝されている。撤退縦列の最後尾第一線の移動につれ、敵機の銃爆撃中心点も移動す。

 どうやら横道河子付近の山に接近。谷を縫う道路に達したら撤退車両の長蛇の列で前進不能。部隊間に他部隊の車両が割り込むため相互の連絡に苦心す。前進、停止、ノロノロ運転が限りなく続く。

雨模様となり敵襲中断が幸い。兵隊服を着て鉄帽を被った看護婦のトラックが10両近く通る。案外朗らかで元気。弾薬車に分乗して牡丹江に逆行する一ヶ小隊、地雷敷設に行く歩兵等々。

 遂に横道河子手前五粁の山間道路で日没。雨となる。路側に車を並べ夜営《夜間野外での宿営》。夜通し撤退車両の響き、徒歩兵、輜重車などが通り過ぎて行く。車上に一ヶ分隊、下に一ヶ分隊、追突されれば圧死か左の谷底に転落かと思いつつぐっすり寝込む。 
                          (つづく)


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あんみつ姫

あんみつ姫
投稿日時: 2007-12-6 23:11
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: イレギュラー虜囚記
   8月17日やっと横道河子までさがる

 8月17日 晴  
早朝、路上で干麺包の朝食。直ちに出発。横道河子市内の混雑を予想し、車両を先行させ、人員は徒歩行軍。五軍主力は、夜間に我々を追い越したらしく、前方約五〇〇米の地点を、敵機が銃撃を反復し追跡してゆく。
さらに前方、横道河子入口付近は激しい銃爆撃を受けている。敵機は反復掃射15分、弾薬、燃料補給に40分姿を消す。毎回同じ形式。編隊は3~9機。

 横道河子市内に入る。停車中の貨物列車の側面に、ポカリポカリと規則正しい機関砲弾の穴が並ぶ。谷あいの射撃にしてはなかなか正確な狙い。街中後退兵で充満し、街角に五軍《第五軍団》から将校が出て交通整理。「行先不明者集合地点」などの貼紙もある。

駅のプラットホームは地方人、兵隊で一杯。駅正面のロシア人クラブらしい建物が五軍司令部となり、玄関の階段上に、少佐参謀がどっかと椅子に腰を据え、部隊行動をとらない兵隊を大声で追い返す。

 街を抜け、峠手前の糧秣廠付近で部隊集結を図る。空襲に備えて、車両を道路両側に分散配置し終わったところへ、前方から、大佐の乗った指揮車とトラック一両が現れ、通行妨害になるから車両を片側に寄せろと怒鳴る。
止むなく、進行方向右側へ一列に並べ変えた途端、敵機!の叫び声。峠の東側山沿いに敵三機迂回中。道路左側は大きな凹地、右側は疎林《木のまばらな林》

凹地斜面の松の根方に伏せる間もなく、稜線を越えて第一回の銃爆撃。小型爆弾は、爆発しても細分化せず土塊と共に蛸足のように飛ぶ。品質が悪いのか、山土のせいか、威力なし。ただし、機関砲は危ない。ビュンビュンと唸りながら松の枝を散らす。敵機は上昇反転して背後から襲う。

凹地が広いので、反対斜面への移動は無理。やむなくそのままやり過ごす。凹地の底で輜重馬が五、六頭無心に草を食っている。敵機は、道路右側の車両縦列を狙って三回反復攻撃し姿を消した。

 路上に上がって点呼。人員に異常なし。武藤車は、ラジエーターに被弾、運転席の硝子吹っ飛ぶ。自分の車は左後輪外側タイヤパンク。道路右側の林に退避した者は被害甚大。一中隊の上原属即死、大野曹長胸部貫通、志治伍長掌《手のひら》負傷。

他部隊では、腹を抉られた者、足首の砕けた者など、草いきれと血の臭い。一中隊水谷衛生兵が他隊の重傷者にも手当てを施し大活躍。喜野隊長が死者、負傷者を野戦病院に運ぶべく横道河子へ逆行する。

 このままでは再度やられる、車を分散すべしということで、城所車と自分の車が峠を越えて前進。坂道を下り切って、道路と浜綏線が平行している平坦地で道路外の草地に停車、城所車はさらに前方一〇〇米まで出る。他部隊の車両もどんどん後退する。

 飯盒炊さんとタイヤ交換作業を開始。空襲時の退避地点を、道路左三〇米の浜綏線《ハルピンと牡丹江を結ぶ鉄道》向う側の凹地と決める。道路右側は山の緩やかな斜面で退避には不適。対空監視に臆病者の雇員をつける。怖くて一心に見張るはずだ。

横道河子上空の敵機の一部がときどき眞一文字に突っ込んでくる。反射上昇時に、後部座席の射手が天蓋を開けて下を覗きながら旋回機銃で狙い射。こっちも数回小銃で射ってみたが、効果があるはずもなく、爾後大人しく逃げ回ることとする。

 パンク補修が完了してタイヤに空気を入れる。空気入れが自転車用でなかなか規定圧まで上がらぬ。敵機が見えると、空気栓を閉める余裕もなく、一目散で突走る。

敵機が向って来ると分かって数歩走る問に、先ず、ビュンビュンと弾丸が掠め、そのあとで爆音と発射音がかぶさってくる。タイヤ圧あと少しとなると敵機の繰り返し。丸で賽の河原だ。 
                           (つづく)


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あんみつ姫

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