メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 「戦争を語り継ぐ」 (雨森康男) | 投稿するにはまず登録を |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
編集者 | 投稿日時: 2007-3-16 8:02 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
弟は手榴弾を抱いた (雨森康男) 弟は手榴弾《しゅりゅうだん=手投げ弾》を抱いた 93/10/15 22:50
「ゆきゆきて神軍」は3・4年前静岡市まで出かけて映画館で観ました、あの映画は観る年代によって受取り方がだいぶ違うのではないかと思います。 僕は「ゆきゆきて神軍」と言うと、弟を思い出すのです。今日はいつもの書き込みを止めて、悲憤の思いで死んでいった弟のことを書きます。 僕の弟は青山学院の中等部を卒業すると、すぐに召集されて中国大陸に派遣《はけん》されました。 弟の部隊はある小さな村を占領すると、村の男は老人から子供まで殺し女はいたいけな少女から老婆まで犯し、殺し、妊婦は生きたまま腹を裂《さ》き、胎児を銃剣で刺す暴虐を行ったのです。 上官は弟に、「雨森候補生、貴様もやれ!」と、兵隊達が散々輪姦《りんかん=複数の男で一人の女性を次々に強姦する》した女を指して言うのです、「自分には出来ません」と言う弟に、その上官は、「この腰抜け野郎!貴様は俺の命令に反抗するのか!」と怒り、侮辱し、殴りつけたた上に、「よし、それならこいつを殺せ」と命令するのです。 兵隊達にいたぶられ、両手を合わせて命乞いをしている女をどうして殺せましょう。弟は敵前で上官の命令に反抗したのです、敵前の反抗と逃亡は銃殺です、弟は武器を取り上げられ、階級章と候補生の座金をはぎ取られ、監禁されました。その夜弟は脱走しました、でもいったいどこに逃げられるでしょう、 追跡する捜索隊に追いつめられた弟は、焼けて泥壁だけの民家に入り、手榴弾を抱いて自爆したのです。 留守家族には弟は「戦病死」と通達されました、ですから両親は敗戦までその真相を知りませんでした、この事実は弟の戦友が僕の両親を尋ねて来て知らせてくれたのです。 これは特殊な例ではありません、日本軍が占領したアジアの国々で日常的に行われた事です、また日本軍だけの非道ではなく、ベトナムのソンミ村が代表するアメリカ軍も、神聖な十字軍も、戦争は人を狂気にしてゆく。 そんな兵士達も家に帰れば、良き父、良き夫、良き市民であつた筈です。 日本は戦争に負けた、しかし天皇制は存続し、解体された筈の財閥は国が破れてもいよいよ太り、結局誰が犠牲になったのか…言うまでも無いでしょう。 サラテイ |
« 1 (2) |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | トップ |
投稿するにはまず登録を | |