メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 「大正二桁世代の中学校」 | 投稿するにはまず登録を |
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自然 | 投稿日時: 2005-7-8 10:58 |
登録日: 2004-12-21 居住地: 横浜(福井) 投稿: 22 |
「大正二桁世代の中学校」 昭和10~15年は最も多感な少年期を「公立中学校」に学んだが この頃の朝 鮮 では 県に相当する「道」及び市に当たる「府」の管轄《かんかつ》施設を称 し 中学は前者 であり 内地人の学校は外に高女《=高等女学校》と3っの小学校 内鮮共学は 師範《しはん=現在は大学教育学部》 商業さらに専修学校 《=職業に必要な技術を教育する学校》があった 当時の国状は 満州事変《=1931年日中戦争の発端》以後軍関係事件が頻繁 《ひんぱん》に起き 11年には二二六《=陸軍青年将校たちが当時の政府に対して 起こしたクーデター事件》 12年は日中戦争 13年は三国軍事同盟《=日本・ドイツ・ イタリアの同盟》 16年には太平洋戦争が引き続いて起こり 少年といえども国家 総動員体制の枠外ではなかった 中学新入1学期の陽春の校庭では ゲートル姿のひと組が徒手教練《としゅきょう れん=手に何も持たない闘争のための訓練》を終え配属将校 《=戦時中各学校に教官として軍人が配属された》 教官の 大尉先生に挙手の敬礼 をしてホーッと入れていたその時 「○○ここに 来い!」と声で側に直立 「お前の臨時試験成績では『落第』 するぞ!」と雷な らぬ慈眼を浮かべての諭し《さとし》を 給わったのである 因みに《ちなみに=関連して》 本校の試験の仕組みは 学年三学期制の各 学期に 臨時 期末と二度の試験の都度《つど》 科目別と総合平均点と クラスと学年内の順位を各自に通知され 科目別で40点 総合平均が60点未満 の点は赤字で表示され 各学年末に赤字が付くと 「落第」と決し留年する処分は 制服の詰襟《つめえり》右に校章左に学年章を付けるので 表沙汰を避けることが できなかった 「落第」の一言で勉学の大切を知った凡庸子《ぼんようし=平凡な人》の人生は 今日も続いている |
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