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   大正の時代
     糸の岡谷
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ホベン
投稿日時: 2005-3-31 20:49
登録日: 2005-3-23
居住地:
投稿: 3
糸の岡谷

岡谷は私の生まれ故郷です。諏訪湖の水の落ち口天竜川の源に位置しています。当時の鉄道唱歌《てつどうしょうか=沿線
の駅名や景色を織り込んだ歌》
に「湖水の水の落ち口の岡谷は製糸に知られたり」とありました。岡谷になる前は平野村とい
う一寒村でした。たまたま小学校で3年間ほど教わった担任の小口珍彦先生が平野村の発展経過に興味を持たれ、教鞭《き
ょうべん》
を執る《とる》傍ら《かたわら》古老を訪ね歩いたりして何年も掛けて平野村史なる本を執筆されていたので、生糸で
発展してきた岡谷の話は良く聞くことが出来ました。

 当時は住人の多くは生糸に関係のある仕事に携わり《たずさわり》、製紙工場は大小併せ《あわせ》て百軒以上あったようで
す。そして良家の子女でも一度は工場で糸を採る仕事をするのは当たり前だったのです。県下の女性だけでは間に合わず、
遠く岐阜や山梨あたりからの女性も多く働きに来ていました。また腕のいい女性の稼ぎはそこらの男性よりも多かったようで
す。

 昭和に入りアメリカでナイロンが発明されて、生糸の輸出が急激に落ち込み多くの製糸工場は倒産に追い込まれ不況はど
ん底の状態になった。そんな中昭和十年皮肉にも平野村は岡谷市に格上げされたのだった。

                    ホベン
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