メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 松根油(しょうこんゆ) | 投稿するにはまず登録を |
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mikas239 | 投稿日時: 2004-9-14 17:29 |
登録日: 2004-2-5 居住地: 岐阜県岐阜市 投稿: 9 |
松根油(しょうこんゆ) 昭和20年夏 片田舎の国民学校中学年は 小高い山に登って
赤松の大木目がけて 蔓茨《つるいばら》・潅木《かんぼく》・薄の群生を分け入って 大き目の小刀ナイフを携え 松の木の根元に近寄って 斜めに 5センチ位の幅で20センチほど堀溝を付け 木の根元に 小 さなバケツを結わえ付け『松根油』とやらを搾《しぼ》り出す作業に 汗ビッショリになった 翌日流れ出た松根油なるものの溜《た》ま ったものを隣保《りんぽ=戦時中町内会を幾つかに分けた班、隣組》 班長さん宅に勇んで持っていったものでした これを何に使うのか聞いてみた 曰くB29《アメリカボーイング社の 大型爆撃機》に立ち向かう戦闘機の燃料になるんだとさ その心意気や実に真剣そのもの 決して日本が 敗戦の憂き目を蒙《こうむ》るとは露の欠片《かけら》も無かった ことは今になっても断言できる ほろ苦い思い出の一片です mikas239発信 |
Pan | 投稿日時: 2004-10-19 16:38 |
登録日: 2004-5-7 居住地: 大阪府 投稿: 59 |
Re: 松根油 松根油掘りは身近かでした。
先ず mikas239 さんの仰《おっしゃ》っているのは、松ヤニの事だと思いますが、丁度ゴムや漆《うるし》の木 から樹液を取るように、幹の肌を軽く削り取ってから斜めに新しい傷を深く付け、したたり落ちる樹液を集めました。 毎日一回新しい傷を付けに廻《まわ》って、1本の松からコップに一杯採るのに1週間ほども掛かりました。 この樹液が何に使われるかは知りませんが、あとで松が枯れてしまったものが多かったです。 これに対し松根油は、琥珀《こはく》のようになった赤松の根を大きな鉄釜《てつがま》で乾留《かんりゅう=熱 分解》して薄いコールタールのような姿で採りだした油でした。 伐採した赤松の根が土の中で朽ちた後、油の多い部分は虫にも食われず茸《きのこ》も生えず、骸骨《がいこ つ》のようになって土の中に何年も残っています。古い物の方が良いと聞きました。 山の急斜面でこの根を掘り出す作業も、それを運び出す作業も大変な重労働で、危険でもありました。 当時中学生だった私たちにはさすがにこの仕事は回ってきませんでしたが、手伝いはしました。 村道の交差点には、あちこちから供出《きょうしゅつ=割当量を差し出す》された松の根が山のように積んであ りました。 集落単位に供出の割り当てがあったと思います。 村の一角に設置された大きな炭焼き釜のように見える乾留釜は、ドラム缶何杯かの松根油の原油を取り出す 試運転の段階で敗戦を迎えました。 敗戦後も長い間その釜の残骸《ざんがい》が残っていて、私には敗戦のシンボルのように思えました。 精製して航空燃料にすればかなりの高性能が出ると聞きました。 その釜のあった場所を今でも時々通りますが、松根油を思い出さない時はありません。 |
あんみつ姫 | 投稿日時: 2004-10-23 13:20 |
登録日: 2004-2-15 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 485 |
Re: 松根油 mikasa239さん Panさん
「松根油」のことは色々な説があるんですね。 確かに松の根を掘り起こして採る方法が普通だったようです けど、いわゆる松脂《まつやに》を、それもmikasa239さんの 仰《おっしゃ》るように松の根元から採る松脂を精製して飛行 機の燃料を取るんだと教えられた人たちもあったようで、事実、 そのような作業を「松根油採り」と言っていたようですね。 Netで検索すると、いろいろあります。 市川在住の方のホームページには「太平洋戦争末期に底を ついていた航空燃料の代替となるテレピン油を生産するた め「松根油」の採取が行われたが、方法は各地で異なるも ので、市川では幹の南側に矢羽根型の傷をつけてゴムノキ からゴム液を採取するようにしてを松脂採取する方法が採 られたので、今でも多くのクロマツにこのときの傷跡が生 々しく残っている。」とありました。 何れにしても、子供たちが意味も解らずこのような空しい 作業に狩り出されたことだけは、事実なんですよね(--#) Panさんの仰る乾溜釜は、当時、沢山作られたそうですが、 今でも残っているところは珍しいのではないでしょうか。 もしその釜の写真など見られたら嬉しいです。
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さんらく亭 | 投稿日時: 2004-10-24 21:17 |
登録日: 2004-2-18 居住地: 甲子園 投稿: 11 |
Re: 松根油 松根油と聞くと思い出します。昭和18年秋、神戸が空襲で危くなり父の古里の兵庫県の山奥へ疎開《そかい=空襲を避けて都会から田舎に住まいを移す》しました。中学1年のとき松の根っこ掘りをやりました。時間割に英語の時間があっても授業はなく、その時間は学校の裏山の山林で松の根っこをツルハシやシャベルで掘り出す作業です。都会からの疎開者にはつらい作業でしたが地元の農家の子は力もあり要領もよかったです。われわれ軍国少年は鬼畜米英《きちくべいえい=戦時中、アメリカ人、イギリス人は鬼、畜生と同じと言われた》撃滅《げきめつ》のための戦闘機の燃料だというので一生懸命頑張《がんば》りました。戦後になって知ったのですが実際にはまったく役に立たなかったそうです。
国民学校《戦時中(1941~ 1947年)小学校は国民学校と改称された》6年生のときは裏山へラミー(という繊維の多い植物)を刈り取る作業がありました。ここから取る繊維で兵隊さんの衣服を作るんだというので慣《な》れない鎌《かま》を振るって懸命に働いたものです。 さんらく亭@甲子園 |
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