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投稿者 スレッド
きょうこ
投稿日時: 2004-8-17 8:03
登録日: 2004-7-28
居住地:
投稿: 12
懐かしいSL


栃木県JR 真岡《もうか》線を、夏休みSLイベントとして蒸気機関車が走りました。


私たちが子供の頃はいつでも走っていましたが、やはり汽車が走ってくると足を止めて見入っていました。そして時折、甲高い汽笛《かんだかい きてき》の音にビクッとしたものです。 
今も昔も子供たち、特に男の子にとっては 羨望《せんぼう》の的になっているらしいです。 

いまでは、のどかな田園の中をSLがはしると、線路の所々に 絵になりそうなポイントを求めて 朝、早くからカメラを構えてSLの来るのを待っている人達が沢山居ます。
そして、それぞれにSLに向かって手を振り、乗客もそれに応えて手を振り返します。
機関士《きかんし=列車の運転士》も汽笛をサービスしてくれました。

今もって子供から大人にも根強い人気があるのは あの度迫力でしょうか。
煙を吐きながら力強く走る機関車には やはり、田園が似合います。
懐かしい風景でした。
あんみつ姫
投稿日時: 2004-8-17 8:14
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 懐かしいSL
きょうこさん  こんにちは!

実生活からSLが消えて久しいけど、やはりこの勇姿は残したいと思う人が多い所為か、展示されているだけでもアチコチにありますね。

私の住いの近く、東京の小金井公園にもその名も「義経号」というのが、常時展示されています。

引用:
そして時折、甲高い汽笛の音にビクッとしたものです。


名古屋に住んでいた昭和27年頃、訪ねてきた東京の叔母が帰京するので名古屋駅まで送って行った時に、発車の汽笛にびっくりして泣き出してしまった事、今でも覚えてます。

その後も、汽車が出発する時の汽笛の音には「さぁ鳴るぞ」と身構えていても、体がビクッとしたものです(~-~;)

機関車で丹那トンネル《たんなトンネル=東海道本線熱海 函南間》を通る時は、窓を開けておくとトンネルを出た時に油煙《ゆえん》で顔が真っ黒になると言われて、急いで窓を降ろしたりしました。

その頃の汽車の窓は木枠《きわく》で、人力で上げ下げできるものでした。
今では「汽車」と言うのは死語なんでしょうかねぇ


----------------
あんみつ姫

きょうこ
投稿日時: 2004-8-17 17:04
登録日: 2004-7-28
居住地:
投稿: 12
Re: 懐かしいSL
あんみつ姫さん こんにちは
SLにコメントを有難う御座います。
まだ、まごまご、うろうろ、1つの事に時間をかけて、おまけに、辿《たど》りつかずに立ち止まったままの私をに、お手を貸していただいて済みませんでした。

あんみつ姫さんの仰るとおり、トンネルに入る前は必ず窓を閉めましたよね。閉めたんでなく、降ろしました。
降ろす窓の下のほうについている左右の金具を洗濯バサミをつかむようにして、人力でやってましたね。結構力が要るので、子供には無理でした。
「汽車」というものは何れ、百科事典で調べないと解らない人達ばかりになるんでしょうね。
らごら
投稿日時: 2004-8-18 7:49
登録日: 2004-3-1
居住地: 横須賀市
投稿: 46
Re: 懐かしいSL
きょうこさん あんみつ姫さん
引用:

今では「汽車」と言うのは死語なんでしょうかねぇ

 僕の婆さんは福井県の粟田部出身でして、明治時代(大正時代かな?)に粟田部にも汽車が開通したそうです。
武生から南越線に乗り換《か》えて終点が粟田部でした。現在は廃線《はいせん》になっています。
この頃は汽車とは云わず”丘蒸気”《おかじょうき》と云って、みんなで筵(むしろ)と弁当を持って見に行ったものだそうです。

 走り出すときは、いざ往《ゆ》かんとばかりに勢いよく蒸気を噴きだし、シューッ・シューッ・シュー・シューと走り出す。上り坂にくるといかにもきつそうにシュッ・シュッ・シュッ・シュッと喘《あえ》ぎながら登る様は頼もしい生き物に見えたものです。
あの汽笛もよかったですねー。運転手の紐《ひも》の引き具合でいろいろな音色が出ました。
あんみつ姫
投稿日時: 2004-8-18 9:56
登録日: 2004-2-15
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 485
Re: 懐かしいSL
らごらさん  みなさん

母上の年代、大正でしょうか、そう言えば「丘蒸気」っての、聞いたことありますね(-^〇^-)

引用:
 走り出すときは、いざ往かんとばかりに勢いよく蒸気を噴きだし、シューッ・シューッ・シュー・シューと走り出す。上り坂にくるといかにもきつそうにシュッ・シュッ・シュッ・シュッと喘ぎながら登る様は頼もしい生き物に見えたものです。


初めて汽車、機関車を見た人たちは、ほんとうにびっくりしたでしょうね。あの汽笛の音にも腰を抜かしたのではないでしょうか(~-~;)

 ♪ 汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり
 ♪ 愛宕の山に入り残る 月を旅路の共として
 ♪ 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ
 ♪ 月は消えても消え残る 名は千歳の後までも

と、東海道を延々と続く「汽笛一声」の歌にあるように、当時の汽車は、路面電車のように走っていたのですね

そういえば「路面電車」も、もう殆ど姿を消しましたね(_ _,)



----------------
あんみつ姫

ザックス
投稿日時: 2004-8-22 6:37
登録日: 2004-2-22
居住地: 東京
投稿: 65
Re: 懐かしいSL・路面電車
あんみつ姫さん

>そういえば「路面電車」も、もう殆ど《ほとんど》姿を消しましたね(_ _,)

 「殆ど」だから我慢しますが、東京でも「王子電車」(正式には都電・荒川線)など、健在《けんざい》ですよ。私など月に2回以上はは利用しています。(町屋の斎場《さいじょう=葬儀をする場所》へとか、お三味線の修理に行くとか、孫を乗せたり。(^_^;))
 JRと違って席の譲《ゆず》り合いなど、これが同じ東京人か、と思います。乗るまでに階段のないのが最高デース。

 「汽笛一声」風に唄えば 

 ”右は染井《そめい》の墓地にして有名人がウン十人”
 ”左は名高い高岩寺《注》若いばあちゃん犇《ひし》めいて”

 東京以外でも結構活躍していると思いますよ。「無公害」乗り物として見直されて。これも写真が必要でしょうか?
         失礼しました。     ザックス

注 高岩寺=通称刺抜き地蔵
ザックス
投稿日時: 2004-8-22 6:53
登録日: 2004-2-22
居住地: 東京
投稿: 65
Re: 懐かしいSL
きょうこさん

 懐かしいものを有り難うございました。私は中学時代、親元を離れていましたので、夏冬の休みのたびに、どれだけ汽車のお世話になったか解りません。
 電化されるまではトンネルでの煤《すす》に鼻が黒くなったものです。
戦前は故郷を離れるたびに、もう親との別れか、とよく思ったものです。  アップ、有り難うございました。 ザックス 
きょうこ
投稿日時: 2004-8-23 22:58
登録日: 2004-7-28
居住地:
投稿: 12
Re: 懐かしいSL
ザックスさん こんばんは。
そして、初めまして。
懐かしいSL に思い出を重ねていただいて有難う御座いました。
昔の子供たちは常に、親との別れを意識せざる得ない状況にあったのですね。
返せば、親も同じ思いで子供を見送ったのでしょう。
いつの時代も、親を思う気持ち、子を思う気持ちに変りはないのでしょうけれども、古い時代の方が切なく、純粋な感じがしますね。  そう感じるのは私だけでしょうか・・・。
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