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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     昭和20年8月15日正午
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投稿者 スレッド
ホープ
投稿日時: 2004-6-15 19:45
登録日: 2004-2-27
居住地:
投稿: 9
昭和20年8月15日正午
昭和20年8月15日正午 (ホープ)
その日は朝から真夏の太陽がギラギラと照りつける大阪でした。
防空壕の家(その年の6月7日空襲で全焼)を出て現在の大阪
空港へタコ壷《つぼ》(退避壕)《=土を深く掘った一人用のもの》堀に出かけました。当時は電車も充分無く2時間以上かかっておりました。午前10時頃監督の軍人から正午に天皇陛下のお言葉があるので集合するように言われていました。不思議な事に午前中毎日艦載機《かんさいき=戦艦、航空母艦などから発進する飛行機》の空襲があるのにその日は全く静かで気味が悪いなと友人同士話しておりました。
爆音とラジオの感度が悪くて放送の全容は把握《はあく》出来ませんでしたが、戦争に負けた事は理解出来ました。全身の力が抜けて涙が止まらなくなった事は今でも忘れません。終戦がもう一週間早ければ同級生4人が艦載機の機銃掃射《きじゅうそうしゃ=艦船から飛来した飛行機から機関銃を発射すること》で若い命を落とさずに済んだのに戦争の悲惨さをイヤというほど知らされました。
もう30年程になりますか、8月7日は若くして散った同級生の冥福《めいふく》を祈って、つたない般若心経を唱えております。
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