メイン C-文書など記録物 明治時代の中学校の音楽 | 投稿するにはまず登録を |
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マーチャン | 投稿日時: 2004-5-4 18:06 |
登録日: 2003-12-31 居住地: 宇宙 投稿: 358 |
明治時代の中学校の音楽 亡父の遺品です。
中学一年生時代の音楽の「ノート」です。 父は、1893年(明治26年)の生まれですから中学一年は明治39年頃でしょう。 学校は当時の府立3中、現在の都立両国高校です。 音楽は、必須科目と聞いています。 音楽の教科書はなく、先生が黒板に書かれる楽譜を各自ノートに書き写していたようです。 ちなみに、当時の音楽の先生は、吉丸一昌さんでした。 (国文学者。のちに東京音楽学校教授。「早春賦」の作詞者) ノートは、銀座の十字屋で出している「五線紙ノート」で革張りです。 裏に一年乙組の若宮君の名前、立派なハンコなんか押しています。 まず「荒城の月」です。 この「はなのえん」の「え」の音符に着目してください。「#」が付いていますね。 どうやら、これがオリジナルの楽譜らしいです。 後の人たちが日本調の歌にするために「#」をとったらしいです。 そうかと思うと、英語の歌もあります。 多分、英国の子どもの歌でしょう。 メロディーは「スズメ、スズメ、お宿は」のものです。 ローレライは題名、作曲者とも、なんとドイツ語です。 そして「ここはお国を何百里」も教わったようです。 びっくりしますのは「楽典」というか、音楽理論までしっかりやっていたことです。 父は、高等教育は受けていなかったのですが、一般教養に関しては立派なものでした。 中学校の教育の賜物でしょう。 |
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