メイン E-風俗・習慣・歌など 私の幼少(ガキ)の頃 | 投稿するにはまず登録を |
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スカッパー | 投稿日時: 2004-4-25 22:30 |
登録日: 2004-4-11 居住地: 投稿: 25 |
私の幼少(ガキ)の頃 大正生まれの私の幼年時代 軍国少年でして 遊びと言えば
ガキどもを集めて兵隊ごっこ 良くこんな歌を歌ったものです 今の時代では軍国主義者といわれるのでしょうね 1.僕は軍人大好きよ 今に大きくなったら 勲章つーけて剣下げて お馬に乗ってハイドードー 2.煙を吐いて 波立てて 早や軍艦は見えてきた 僕も大きくなったなら 海軍士官になりたいなー 何も知らない純真無垢《むく=けがれない》?な頃 当時の世相を反映していたのでしょうか 事実それから十四~五年後には 学徒出陣で外地ヒリピンまで行かされ 辛うじて今日まで生かされてきました 感無量 スカッパー |
あんみつ姫 | 投稿日時: 2004-4-26 17:24 |
登録日: 2004-2-15 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 485 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 スカッパーさん こんにちは!
大正・昭和初期の生まれの方は、多かれ少なかれ 軍国少年だったでしょうね。 引用: 今の時代では軍国主義者といわれるのでしょうね 戦争の悲惨さを忘れるな、二度と戦争は嫌だ! 勿論、その通りです!! でも平和、平和と唱えていれば嵐が頭の上を通り 過ぎてくれるものでも無いので困った事ですね。 雰囲気に踊らされて忘れ去ってはいけない事が沢山 ありますよね。それを今記録しておかなければ、当 時の物事が雲散霧消《うんさんむしょう=跡形もなく消え去る》してしまいそうです。 軍歌と言っても戦中生まれの私など、は ♪貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く ♪咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため とか・・ ♪海の男の艦隊勤務 ♪月月火水木金金 とか・・ほんの一部を歌える程度です。 軍歌は威勢の良い歌で、国民を戦争に駆り立てるために これを歌わせたように言われることがありますね。 でも「海行かば」という歌を聞くと、自然に目頭が熱く なります。 聞くところではこの歌は万葉《まんよう=現存最古の歌集「万葉集」》の歌人、 大伴家持《おおとものやかもち》の長歌の 一節に曲をつけたものだそうですね。 ♪海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍《かばね=なきがら》 後が思い出せませんが、お国のために亡くなって行った 若者の無念さを思って、つい胸が詰まります。
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らごら | 投稿日時: 2004-4-28 8:00 |
登録日: 2004-3-1 居住地: 横須賀市 投稿: 46 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 あんみつ姫さん
海行かば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ 当時は国のため天皇陛下のために皆一生懸命でした。 |
スカッパー | 投稿日時: 2004-4-28 9:59 |
登録日: 2004-4-11 居住地: 投稿: 25 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 あんみつ姫さん
早速のレス有り難うございます 「軍歌」については 銃後の国民の戦意高揚のために作られた「軍国歌謡曲」と 軍部が正式に軍歌に採用した「軍歌」とある様に思います 当時は検閲という制度があり 禁止されたものもありました 作詞 作曲者並びに題名は忘れましたがこんな軍国歌謡曲がありました 轟く《とどろく》凱歌の その中に 白木の箱に変わりたる 声無き友の 凱旋《がいせん》を 迎える我は 涙のみ 戦死をした友人を迎える心情を書いたものでしたが 戦意高揚にならないと 禁止されたと 聞いております 又私の経験で 軍隊内では軍事訓練中で休日での上陸「隊外への外出」終了後 娑婆《しゃば=俗世間》化を無くする為にと「軍歌演習」と称して良く歌わされました 軍歌集を片手に円陣を組み大声でやったものでした この軍歌集には「艦船勤務」「如何に強風」だとか「上村将軍」とか 当時でも巷《ちまた=世間》では知られない軍歌が多くありました 従って軍歌と軍国歌謡曲との違いは 対象者が軍人か銃後《じゅうご=直接戦闘に加わらない》の国民かの相違なのか 釈然としません 戦後では総称して軍歌と言うのでしょうか スカッパー |
あんみつ姫 | 投稿日時: 2004-4-29 10:07 |
登録日: 2004-2-15 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 485 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 らごらさん
「海行かば」の歌詞を、ありがとうございました。 短い中に全てを言い尽くしていて、さすが大伴家持、 と感心しますよね。 私などは素晴らしい鎮魂歌《ちんこんか=レクイエム》だと受け止めましたが 「天皇のために死んでも構わない」と思わせる恐ろ しい歌だと言う解釈もあるようです。 時代が変わると歌の評価も変わるのでしょうか。 いろいろこじつけないで、良いものは良いと思って はいけないのでしょうかねぇ(?_?; 引用: 当時は国のため天皇陛下のために皆一生懸命でした。 国のため天皇陛下のためは、当時の国民としては 当然の気持だったでしょうね。 でも個々の胸の内では、やはり家族のため、愛す る人のために出征して行ったのだと思います。
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あんみつ姫 | 投稿日時: 2004-4-29 10:28 |
登録日: 2004-2-15 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 485 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 スカッパーさん こんにちは!
軍歌」には 銃後の国民の戦意高揚のために作られた 「軍国歌謡曲」と、軍部が正式に軍歌に採用した「軍歌」 とがあるようだとのお話し、分る気がします。 引用:
戦意高揚に繋がらない軍歌は軍歌に非ずって訳ですね(--#) 戦争とは人間の狂気が齎《もたら》すものですから、そこには 本来の人間的感情は無くなってしまうのでしょうね。 胸に響く歌は意気軒昂《いきけんこう》になるものばかりとは限らない のに、人の心を歌ったものが消されてしまうとは残念 ですね。 軍歌と軍国歌謡曲との違いは私にも良くわかりません。 でも子供心にも祖母などが歌っていた「水師営の会見」 や「日本海海戦」など、日本の歴史を歌で教えるって 素晴らしい事だと思ってました(~-~;) ♪敵は幾万 ありとても すべて烏合《うごう=鳥の集まるような》の 勢なるぞ♪ なんて歌は、ソレーッって気持にさせますね
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変蝠林 | 投稿日時: 2004-4-30 18:05 |
登録日: 2003-12-7 居住地: 横浜市 オオクラヤマ 投稿: 22 |
Re: 私の幼少(ガキ)の頃 あんみつ姫さん
引用:
分隊で隊列を組み酷寒の営庭をオッチニッオッチニッと丸く行進 する。やがて分隊長から号令が掛かる。「軍歌練習ハジメッ!」 #/吉野を出でて撃ち向う 飯盛山のー松風にー 靡く《なびく》は雲かー白旗かー 響くは敵の鬨《とき》の声ー 嗚呼《ああ》 懐かしの『四条畷』《しじょうなわて》 蒙彊《もうきょう=中国の山西北部の総称》の冬空よ今一度!!!
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