@





       
ENGLISH
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
メイン
   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを
投稿するにはまず登録を

スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | 下へ
投稿者 スレッド
編集者
投稿日時: 2016-3-30 6:57
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 16 背中の皮を剥く

 背中、皮を剥く  1954年

 描き残したい昭和「日焼けの背中、皮を剥く」昭和29年(1954年)真っ黒に日焼けしなければ夏は終わらなかった。焼かないと冬に風邪ひくからといってみんなが日焼けに専念した。背中の皮は火脹れて水疱となった。次の皮膚ができ始めるころ皮が剥ける。姉妹はキャーキャと声を上げて皮膚をきれいにはがしてくれた。今もこうなのだろうか。


編集者
投稿日時: 2016-3-29 6:49
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 15 褞袍(どてら)
 
 褞袍  1955年

 描き残したい昭和 「寝心地の悪い寝具、褞袍(どてら)」 昭和30年(1955年)

 褞袍(どてら)という寝具がありました。やはり綿入れの夜着で搔巻や丹前もありましたが。褞袍を掛布団にすると衿のまわりの納まりがよくなく寝心地がたいへん悪い。おまけに太い袖が突き出て、寝返りのたびに空気が入って寒い。いやでしたね、この寝具は。かぶって遊ぶのには結構面白いのですが。


編集者
投稿日時: 2016-3-28 17:31
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 14 茶殻を撒いて掃除

 茶殻を撒いて掃除  1952年

 描き残したい昭和「どうしてそんなのまくの」 昭和27年(1952年) 朝、天気が良ければ掃き出すが、天気が悪かったり、寒い日には茶殻を畳に撒いて箒で掃いて部屋を掃除しました。茶殻は部屋の隅々まで行き届いて埃やごみをとてもよく吸ってくれたものです。


編集者
投稿日時: 2016-3-27 7:24
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 13 縁の下

 縁の下 1952年

 描き残したい昭和 「縁の下は秘密の場所」 昭和27年(1952年) 這いながら縁の下を進んで行くと秘密の隠し場所がある。湿気を含んだ冷気が顔に当たる。猫やネズミの小動物、小鳥も出入りするので独特の臭いが漂っていた。礎のうしろに置いた赤い缶にたどりつく。獲得したベーゴマをポケットから取り出し缶の中に入れる。縁の下はなんだか不思議な魅力があった。


編集者
投稿日時: 2016-3-26 8:04
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 12 畳屋さん

 畳屋さん 1955年

 描き残したい昭和は今年はこれでおしまい。来年もまた引き続きご愛顧のほどお願いします。いい年をお迎えください。

 「畳屋さんが来た」 昭和30年(1955年) 畳を外に出す。裏には戻す位置がわかるように印がついていた。古い畳表を剥がす。イグサの香りがあたり一面に漂います。
「ブウー」張り終った畳にお兄さんが霧を吹いた。表がピンと張りつめるように。畳表のヘリを縫う職人さん。「ギュー、ギュッ」音をたてて縫い糸を絞り上げる。この音がいいのだ。肘は金具の肘当てに乗せて順々に移動する。職人さんの身のこなしがきれいでいつまで見ていても飽きませんでした。


編集者
投稿日時: 2016-3-22 6:13
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 11 獅子舞

 獅子舞 1954年

 描き残したい昭和「突然の訪問客」昭和29年(1954年) 正月、獅子舞が街を巡回してきます。突然玄関が開いて獅子舞が飛び込んできます。小太鼓と横笛を従えて。なにがしかの賽銭を渡してお引き取り願いました。


編集者
投稿日時: 2016-3-21 8:30
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 10 洗い張り板
 
 洗い張り板 1953年

 描き残したい昭和です。「洗い張り板のすべり台」昭和28年(1953年)呉服屋で使っていた洗い張り板。普通の家にもあった。ひなたの庭先。縁側に板を掛ける。長さ6尺の洗い貼り板。浴衣を貼りつけてピンと乾かす。短いからモノ足りないがそれでも子供は滑り台にしてうれしい。洗い張りのやりかたは室町時代からあったものだといます。


編集者
投稿日時: 2016-3-20 7:58
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 9 炭火アイロン

 炭火アイロン 1948年

 描き残したい昭和「炭火アイロン」昭和23年(1948年)
 こういう時代があったのです。今じゃとても考えられないアイロンです。

 鋳鉄製でいかにも鉄の塊のアイロン。これに赤く焼けた炭火を入れて洗濯物のしわを伸ばしたのです。どっしりと重いアイロンは扱いがたいへん。やけどしないように。昭和20年代の初めのころまで使われていました。火ごてというものもあって火鉢で熱して取り出し、頃合いを見てしわ伸ばしに使ったものです。


編集者
投稿日時: 2016-3-19 8:13
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 8 黒電話がきた
 
 黒電話がきた 1962年

 描き残したい昭和です。ご笑覧ください。「待望の黒電話が来た」
 昭和37年(1962年)豊島区長崎の家に待望の電話が開通しました。
 黒電話の600型。
 番号は955-3992。居間の隅に置いて
 いつ鳴るか。ときめいてベルの鳴るのをみんなで待ったものです。


編集者
投稿日時: 2016-3-18 6:46
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 7 ちゃぶ台が潰れた

 ちゃぶ台が潰れた  1953年

 「ちゃぶ台がつぶれた」昭和28年(1953) ご飯どきにはちゃぶ台を引き出してきて足を立てて膳を据えます。でも足の立て方が中途半端だと足がぐれて大変なことに。こうなったらもうたいへん。斜めに傾いて乗っていたごはん、おつけ、おかずが滑り落ちてひっくり返る。みんな蒼白大騒ぎ。覆水盆に返らず折角作った夕飯が台無し。母親の怒号の顛末は。こうなるとみーんなかわいそうでした。


« 1 2 3 (4) 5 »
スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | トップ

投稿するにはまず登録を