@





       
ENGLISH
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
メイン
   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを
投稿するにはまず登録を

スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | 下へ
投稿者 スレッド
編集者
投稿日時: 2016-4-9 8:16
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 26 「もうじきお帰りお父さん」

 「もうじきお帰りお父さん」 1953年

 昭和の世相の一端です。当時のお父さんの帰宅は大抵5~6時でした。
 ♪♪コッチンコッチン時計が5時を打つ もうじきお帰りお父さん 次郎も一緒にお迎えに♪♪
 そんな歌が当時ありました。
 「日が暮れると仕事を終える」ということがあたりまえの社会だったのです。暗くなれば仕事もはかどらないということでしょうか。今では考えられないことです。夕方になると道に水をまき、植木鉢に水をやってお父さんの帰りを待っていたものでした。隣家三尺で道を掃き清めました。縁台でうちわを片手に朝顔を見ながらのんびり世間話する。墨田区寺島町は「格子を開ければ顔なじみ 回してちょうだい回覧板」の街でした。


編集者
投稿日時: 2016-4-8 7:48
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 25 蚊帳

 蚊帳。

 「かや」と読む。もう死語となりました。そういえば蠅帳というのも死語になりました。蚊帳に入る儀式があった。蚊帳のすそを振り払い蚊を追いやってから潜る。それを怠ると蚊が入ってみんなからひんしゅくを買う。トンボを中に放してみたこともあるが。ロンドンオリンピックに参加できなかった日本は、フジヤマノトビウオ古橋広之進の期待を日米対抗水上にかけた。五球スーパーとまでいかなかったかもしれないラジオ。蚊帳の前において実況放送にかじりついた。ところでそのころ寝る前に衣服を畳んで枕元に置く。戦時中の名残でしょう。


編集者
投稿日時: 2016-4-7 6:42
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 24 井戸は天然の冷蔵庫

 井戸は天然の冷蔵庫  1948年

 「井戸は天然の冷蔵庫だった」 1948年
 千葉県市川市は、どの家にも井戸があった。水道はまだ引かれていなかったので、水源はすべて井戸に頼った。井戸端は生活そのもの。顔を洗う。歯を磨く。みんな朝から井戸に集合する。米を研ぐ、野菜を洗う、洗濯をする。掃除のための水もバケツを持って汲みに行く。
 しかし楽しみは井戸に漬けたスイカ。子供らは冷えるのが待ち遠しい。暑い夏のおいしいおやつ。切り分けて与えられたスイカ。かぶりついて種を舌でより分け吹き飛ばす。また井戸は復活してもいいのではないか。


編集者
投稿日時: 2016-4-6 8:21
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 23 「年末の大掃除」

 「年末の大掃除」  1949年

 昭和24年(1949年) 毎朝布団を上げた後の掃除は欠かさない。ハタキをかけ、畳を掃く。廊下は雑巾を固く絞って拭く。そして年末、一家総出で大掃除をする。高い所の埃を拭うのはお父さんの仕事。子供たちも気運を察して何かと手伝う。寒いけれども戸は全部開け放して動き回った。ハタキは色とりどりのぼろきれの切れ端をサイズに切って束ねて竹の先に紐で縛る。そしてひっくり返してもう一度紐で縛ると丸いたんこぶができてハタキが出来上がる。


編集者
投稿日時: 2016-4-5 7:49
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 22 庭のトマト

 庭のトマト  1953年

 庭のトマト、取ってかぶりつく 昭和28年(1953年)
 今、昔のあのトマトが食べたい。あの青臭いトマトらしいトマト。すっぱいけれどもいかにもトマト。もうそんなトマトは出てこないのだろうか。ゴツゴツと岩のように凸凹していて大きかった。かぶりつく。トマトの汁が勢いよく飛び出してくる。飛び散った果汁は目に入って痛い。服に付くと色がなかなかとれない。トマトの香りはいかにもトマトらしい強い香りがした。当時家庭菜園が当たり前でどの家もトマトを作っていた。


編集者
投稿日時: 2016-4-4 9:40
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 21 洗濯はせんたく板で
 
 洗濯はせんたく板で  1952年

 描き残したい昭和「洗濯はせんたく板で」 昭和27(1952年)洗濯板というのがあった。ぎざぎざの溝が弧を描いて何本も刻まれている。30㎝幅、60㎝長の大きさだった。毎日使うから真中がすり減っていた。たらいに水を張る。適量の水を手でしゃくってせんたくものを濡らし、亀の甲せっけんをこすりつける。せっけん水の濃度を適宜加減して板の上に押しつけて洗う。寒い冬もこうして洗った。母の洗う手は赤く染めあがり、こすりつけるエネルギーで飛び散る泡と共に蒸気が湧きあがった。便利は電気洗濯機の普及はまだまだ先のことだった。洗濯板はもう絶滅危惧種なのか。


編集者
投稿日時: 2016-4-3 7:42
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 20 灰神楽

 灰神楽  1952年

 描き残した昭和 「灰神楽」昭和28年(1952年) こんなことがありました。ごとく(五徳)の上のやかん(薬缶)は座りが悪い。うっかり手が触れると倒れてしまう。転がって熱湯が噴き出す。それが赤く染まる炭の上に。灰がお神楽のように舞い上がる。アッツチチチ。そのころの暖は火鉢。熱がもったいないので薬缶をかけていつでも湯が使えるようにしていた。ところで五徳は三本足なのにどうして“五”というのでしょう。


編集者
投稿日時: 2016-4-2 6:51
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 19 毛糸を巻く手伝い

 毛糸を巻く手伝い  1952年

 描き残したい昭和「毛糸を巻く手伝い」昭和27年(1952年)
こどもらはよく遊び、家ではよく「お手伝い」をしたが、これはみんな嫌いだった。毛糸の束を両手に中空に支え、毛糸を巻き取る。毛糸を巻き取る動きに合わせて巻きやすく手を上下する。単純で飽きる。ひたすら終わりを待つ。横にはおさがりのセーター。ほどいて巻き戻す。肘や裾は擦り切れているので毛糸が途切れる。柴ってつなぐ。巻いた毛糸は次のセーターを編むのに使う。毛糸を補充するのでどうしても縞模様になった。


編集者
投稿日時: 2016-4-1 6:57
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 18 障子紙の張りかえ

 障子紙の張りかえ  1953年

 描き残したい昭和「障子紙の張りかえの日」昭和28年(1953年) 障子紙を張かえたあとの爽やかさ。和室に入ってくるやわらかな光。破っては怒られたがこの日は破っていい。枠をはずして横たえ、桟に水を吹きかける。水を吸った紙は容易に桟から剥がせる。素通しになった薄めの正麩のりをペトペト塗る。新しい障子紙を下から貼ってゆく。湿気を吸っていた紙は乾くとピンと張る。最後に取っ手に×を切りいれて巻き込み貼りつけて出来上がり。真っ白でまぶしい。近頃めっきり障子が少なくなりました。


編集者
投稿日時: 2016-3-31 8:32
登録日: 2004-2-3
居住地: メロウ倶楽部
投稿: 4289
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 17 ハエ取り

 ハエ取り 1955年

 描き残したい昭和「ハエ取り棒の威力」
 昭和30年(1955年) ハエを捕獲する道具にハエ取り棒というガラス製の管があった。先端はラッパのように開き、管の下は水が入る丸底。天井のハエに先端が忍び寄る。ハエは背後が見えないらしい。気がつくとラッパの中。ハエは水平方向にしか飛べないので細すぎる管の中では短すぎる。上下のホバリングは出来ない。それで、奈落の底に落ちるのみ。壁を伝って登ることはできるが、あっという間でつかまる暇がない。 

 今もインテリアとして使われているフラスコ型ハエ取り器。底が中に煙突状にくびれあがっている。餌を器の下に置いては絵をおびき寄せる。中は水が張ってあり入ると出られない。


« 1 2 (3) 4 5 »
スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | トップ

投稿するにはまず登録を