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kozaru | 投稿日時: 2005-4-14 13:55 |
![]() 登録日: 2004-3-1 居住地: 千葉県 投稿: 37 |
教える側,教わる側 1960年代は日本は先進諸国に比べ技術水準は低く、技術導入は盛んでした。ある国から現場指導員を受け入れるにあたり次のような条件が提示されました。
1現場に専用の鍵《かぎ》のかかる部屋を準備すること 2その部屋にいつでも使える温水シャワーを準備すること 3その部屋にいつでも飲めるように冷たいビールを準備すること この要望のうち職場でビールには現場の人間として抵抗感がありましたが教わる側として致し方ないとおもいました。また指導はその国の言葉でされますので通訳は日本側が手配したようです。ビールの件は仕事をしながら水のごとく飲んでいましたが当然乱れることはありませんでした。勤務時間はいわゆる定時で仕事が残れば日本人に明朝までに完成するよう指示をして引き上げていました。昼食は工場外でたっぷり1時間をかけていました。当時は多少の違和感がありました。 3年後ささやかな当方の機械を買ってくれる国があり据付《すえつけ》指導にその国にいきましたが、さすがビールはありませんが同様の扱いをしてもらい、これがルールかとわかりました。 1990年ころになると日本から取得することも出てきたのでしょう。技術者が来訪しましたが昼食はコンビニのサンドイッチとインスタントコーヒーでよいからと昼食時間も討論に費《つい》やし予定が終わるまで20時ごろまでがんばり、最後は帰国当日土曜の午前中までねばり空港まで車で送るというと電車が時間が取れるからと最後まで討論に費やしました。教えに来たときとの差に唖然《あぜん=呆れて言葉が出ないさま》となりました。 教わるときの姿勢として今でも忘れられないことです。 kozaru |
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