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   実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後)
     B29と竹槍と火叩き
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投稿者 スレッド
Pan
投稿日時: 2005-1-25 14:50
登録日: 2004-5-7
居住地: 大阪府
投稿: 59
B29と竹槍と火叩き

 悲しい3題話です。 ある世代の人達にとっては切り離せない3つの組み合わせです。 さすがにこの竹槍《たけやり》でB29を落とせると思った人は無いでしょうが、もっと強烈な事を考えていました。


 中学生になって暫く経った頃、各自竹槍を作って持ってくるよう命じられました。 簡単な物ですから短時間に作れますが、先端を焚《た》き火で炙《あぶ》って油を塗り、堅くして磨き上げました。 この写真はその段階を省略しています。

 中学校では既に入学当時から木銃《もくじゅう中=訓練用の木製の銃》での白兵戦《はくへいせん=肉薄して戦う》の訓練はやっていましが、今度は竹槍で訓練をしました。
 さすがに危ないので、敵味方に別れるのではなく、突撃して行って藁人形《わらにんぎょう》を刺《さ》す訓練です。

 敵愾心《てきがいしん=敵に対する闘争心》に燃えて訓練しましたが、2年生からは学徒動員に駆り出され、教練《きょうれん=学校での軍事訓練》の時間もなくなりました。

   『竹製品ではありますが、家庭用品ではないので項を改めました。』
かれい
投稿日時: 2005-1-27 13:48
登録日: 2004-1-4
居住地:
投稿: 137
Re: B29と竹槍と火叩き
Panさん

竹槍訓練は女学生もやったと耳にしたことがあったような気がしましたので、一回り(12才)年上の、近所に住む友人に聞いてみましたところ、

一人はその頃、平壌の女学校にいた人で、学校では経験はないけど、「国防婦人会」(一般家庭の主婦)がやっていたとのことでした。

もう一人は京都の女学校にいた人で、学校ではやっていないけど、町内会ではやっていたと思うとのこと、町内会では、その他、竹竿《たけざお》に藁《わら》をつけた火叩きでの火消し訓練や、バケツリレー(水を入れたバケツを、火元までリレーする練習)などもやっていたそうです。

1944年頃か、終戦間際のことですね。

                        かれい
Pan
投稿日時: 2005-1-29 1:02
登録日: 2004-5-7
居住地: 大阪府
投稿: 59
Re: B29と竹槍と火叩き
引用:

竹槍訓練は女学生もやったと耳にしたことがあったような気がしましたので、一回り(12才)年上の、近所に住む友人に聞いてみましたところ、

一人はその頃、平壌の女学校にいた人で、学校では経験はないけど、「国防婦人会」(一般家庭の主婦)がやっていたとのことでした。

  必ずしも全国一斉にやった訳ではなさそうですね。 学校や地域に熱心?な方がおられたところがやったようです。 
  家族の人数は多かったですが、竹槍を持っていたのは私一人でした。
  中学生男子の剣道と同じように、女子の長刀《なぎなた》は必須《ひっす=必ずやる》だったと思います。
引用:

もう一人は京都の女学校にいた人で、学校ではやっていないけど、町内会ではやっていたと思うとのこと、町内会では、その他、竹竿に藁をつけた火叩きでの火消し訓練や、バケツリレー(水を入れたバケツを、火元までリレーする練習)などもやっていたそうです。

1944年頃か、終戦間際のことですね。

  私も1944年の3月までは京都市内にいましたが、その時点では竹槍の話は無かったように思います。近くに竹藪《たけやぶ》はありませんでしたが、後で聞くと物干し竿《ものほしざお》で作ったようです。

  隣組でバケツリレーや火叩き《ひたたき》の訓練はやっていましたね。 各戸に大きな水槽も置かれました。
  小学生でしたがバケツリレーには参加しました。  これは後で役に立ちました。

  田舎へ移ってから戦況は悪化しましたが、そのような訓練はありませんでした。 その代わり裏の土手の下に横穴式防空壕《よこあなしきぼうくうごう》を掘りました。  防空と言うよりも、敵が来た時ここに隠れていて襲撃するためと聞きました。 祖父が掘っていましたが私も手伝いました。
 1m余り進んだところで敗戦になりました。

 火叩きは追って作り、写真を貼ります。 
安房守
投稿日時: 2005-2-1 19:41
登録日: 2004-7-27
居住地:
投稿: 5
Re: B29と竹槍と火叩き
私の疎開先の小学校の運動場に、或る日、お母さん達が集まりました。
ラジオ体操のような形に縦横に並び、皆さん鉢巻をして竹槍を構えました。
中央の壇上、壇の高さは3尺《約1メートル》も有ったでしょうか、
その壇上の立派な髭《ひげ》を蓄えた退役軍人?さんが号令をかけると、
お母さん達は、「エイッ、ヤー」と前後左右に突き進みます。
子供心に、一糸乱れぬ雄姿、と記憶しております。

私の疎開先は房州の南端、当時、米軍の上陸地の候補地であり、肉弾戦への備えだったのでしょう。

村には沢山の兵隊さんが駐屯《ちゅうとん=軍隊が留まること》しており、毎日毎日、陣地作りや、
彼方此方《あちこち》の山々に洞穴を掘っていました。

終戦後、直ぐ米軍がやってきて主要な陣地を爆破していました。
後年、その洞穴の幾つかを悪童達と探検しましたが、既に隣部落へ抜けてるもの、双方から一直線
に向き合い貫通直前のもの、入れ口を少し入ると180度ぐるりと戻って、銃座《じゅうざ=銃を据え付
ける台》
があり入れ口付近を狙《ねら》える子穴が開いていたり、様々でした。

幸いにも、お母さん達が竹槍を使うことはありませんでしたが、
竹槍連隊を指揮指導した立派な髭の退役軍人?さんは、その後、再召集され戦死されました。

その退役軍人?さんは私の同級生のお父さんでした。
戦後、その同級生宅に遊びに行った時の、必死に生活する彼のお母さんの目付きは忘れられません。


記録人
投稿日時: 2006-3-2 1:13
登録日: 2006-3-2
居住地: 静岡県
投稿: 6
Re: B29と竹槍と火叩き
聞いた話ですが、竹槍訓練では、ただ突くだけではなく、突つ+捻る《ひねる》 と効果的だとか。

確かに尤もと思われますけど、敵が上陸してきた時に本当にそんなもので戦うつもりだったのかと思うと今では笑える話ですが、当時の中学生は勿論《もちろん》のこと、主婦でさえ集められて在郷軍人《ざいごうぐんじん=退役軍人など》が指導して度々竹槍訓練があったそうです。
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