鰻の業界

鰻の蒲焼きは、大勢の人々の働きの結晶である。
シラス鰻を捕る人、鰻を育てる人、裂く人、串打ち、焼きの人、その鰻の流通にたずさわる人、山椒を育てる人、タレを作る人、どの仕事も奥が深く、修行は一生もの、串打ち3年裂き8年焼き一生と言われている。
現代は飽食の時代といわれ、グルメ志向の高まるなかで、お客様の美味探求、安全性要求はますます強くなっております。その為に、業者は原料素材の仕入れ、加工、流通、保管にいたるまで、細心の注意を払っている。
鰻は代表的な養殖であり近年は養殖が100%近くを占め、天然ものは河川の汚染によって、僅かな捕獲量になっている。
静岡、愛知、三重の東海三県は、鰻養殖生産地として古い歴史をもっておりますが、近年では九州が生産量では国内1〜2位を占める。
鰻は良質の水と餌(配合飼料)が要求され、大井川が流れる静岡県吉田町、大井川町は良質の地下水が豊富にあり、養殖条件に恵まれている。
夏の需要期には大量に加工生産するため、活鰻流通では鮮度保持に問題が多く "立て場" をつくり (鰻を調理する前に活きじめにして肉質の安定と臭いを取り除く)隣りに加工場を設置して産地生産を実施されている。
現在では、魚介類の殆どは人工的に稚魚、稚貝(種苗)をつくることが出来ますが、これだけ科学が発達した現在でも鰻だけは、いまだに稚魚(シラスウナギ)を人工孵化することができない。凡その産卵場しか分かっていない。
鰻は淡水魚で、海で産卵し、幼魚(レプトケファルス)時代は海で過ごし、沿岸に来て変態し、河川を上ると考えられる。鰻はいまだに謎の多い魚である。

日本で養殖されている鰻は主に日本鰻(アンギラジャポニカ)と云い、一部にはフランス鰻(アンギラアンギラ)を用いている生産者もいる。フランス鰻は、日本鰻に比してシラス鰻が安いのが魅力だが、寸ヅマリで、ズングリムックリと形が悪く、成長が遅いため最近では養殖している人は殆どない。
養殖の方法も、日本では「ハウス加温式養殖」が主体で、シラス鰻を池入れしてから約半量のものは、一年以内で出荷する。台湾、中国は「露地池養殖」のため生育に日本より約一年ばかり余計にかかるので、最近では両国でも「ハウス加温式養殖」が大分増えてきた。

鰻の料理

鰻の食べ方は、我が国では、何と云っても「蒲焼き」である。他の魚では、焼く、煮る、揚げる、或いは生で食べるなど、それぞれ種々の食べ方があるが、鰻だけは蒲焼き以外の食べ方は殆ど知らないほうが多い。
蒲焼きとは、魚にタレを付けて焼き、カバ色(茶色がかった橙色)に焼き上げたものを云い、鰻を調理するまでは生きていること、裂くのが難しいことなどのため、一般家庭では調理することが少なく、殆ど蒲焼き屋任せであった。しかし、最近ではインスタントものが出回り、温める(チン)だけで、蒲焼きが口に入るようになり、そのお陰で消費が大いに伸びた。因みに一年の消費量は、日本国内産のほか、台湾、中国、韓国から輸入され、合計10万トンもの鰻が蒲焼きになって食べられたと報ぜられている。うち国内産は約4分の1の2万5千トン位である。

ウナ丼やウナ重には、1キログラム当り5尾サイズ(5Pと云う。)1尾200グラムのものが使われるので、計算すると、日本では1人当り、年間5回ほどウナ丼、或いはウナ重を食べている勘定になる。

蒲焼きには「東京風」と「関西風」とがあり、前者は5尾サイズを背開きにし、内臓、骨、ヒレ、頭を取り除き、二つ切りにして串を打ち、炭火で皮のほうから焼く。これを「白焼き」という。白焼きにしたものを蒸し器に入れて蒸す。蒸し上がったらタレを付けて蒲焼きにする。このように二つ切りにして蒲焼きにするので、東京風は白い切り口がない。また、蒸しているので、口に入れるとトロケルような柔らかさが特徴である。この蒸すようになったのは江戸時代文化年間(1804〜17)の頃と云われ、これが鰻を美味しく食する方法としてもて囃された。

他方、後者の関西風は、4尾サイズを腹の方から裂き、頭を切り離さず有頭のまま金串を打ち、白焼きにする。東京風と違い蒸さずにタレを付けて蒲焼きにする。蒲焼きにしてから、頭を落として二つ切りにする。従って、白い切り口がある。食べ方も特徴があり、ご飯の間に蒲焼きを挟んで食する。関西で「ウナ丼」のことを「マムシ丼」と呼んだのは、鰻が蛇のマムシに似ているからではなく、蒲焼きをご飯の間に挟んだので「間蒸し」・・・「マムシ」になったと云われている。
因みに、東京風と関西風の境界はどこだろうか? 電源も50サイクルと60サイクルが富士川を境にしているし、山と山との間の窪んだ所、いわゆる言葉の「谷」と「沢」との境界は大井川と云われているように・・・詳しいことは定かでないが、名古屋と浜松の中間と云われている。
また、我が国では、蒲焼きが鰻の主たる料理だが、ヨーロッパでは燻製である。世界で鰻を食べる国は、日本、中国、韓国、イタリア、スペイン、ドイツ、イギリス、フランスなどと結構多いが、何と云っても最大の消費国は日本である。

鰻には食べ方として刺身がない。

日本人は、魚であれ、獣であれ、貝であれ食用に適するものがあれば刺身やアライにして生で食べるのが好きだ。口に馴染まないものもあるが、味にこだわりさえしなければ大概のものは生身で食べる。一つだけの例外が鰻である。魚のフグもそうだが、鰻の血液は生では有毒である。台湾辺りではマムシの生き血を酒に混ぜて飲むが、鰻のそれは間違っても飲んだら大変である。イクシオトキシンという毒成分が含まれているので注意されたい。また、飲むことは論外であるが、飲まないにしても、鰻の生血が目に入るとひどい結膜炎を起こしたり、傷口から入るとこれもひどい炎症を起こす。ただ、イクシオトキシンは熱に弱く、50度Cで分解してしまう。したがって、熱を加えれば何の問題もなく、例えば、鰻の「酢の物」も、けっして生ではなく、よく血を洗い、湯通しがされているので安心である。

土用の丑の日に鰻を食べるわけ

鰻の話になると、必ずと云ってよいほど引き合いに出されるのが「万葉集」の中にある大伴家持が石麻呂にあてた戯咲歌の「石麻呂にわれ申す夏痩せによしといふものぞ武奈伎とりめせ」であろう。武奈伎とは鰻のことである。昔から食用とされ、しかも夏痩せに効く滋養食品として知られていた訳である。また、元禄8年版(1655)「本朝食鑑」には滋養食品として鰻の効能を取り上げ「腰を温め、腸を起こし、諸風を消し、・・・特に痔に効目があるほか、一切の虫を殺し、小児の疳を治す」とある。
土用の丑の日に、鰻を食べるようになったのは、江戸時代、平賀源内が言い出したとあるが、これには他説もある。当時アイディアマンで知られる平賀源内が馴染みの鰻屋を流行らせてやろうと、その店の入口に「本日土用の丑の日」と看板を出したところ、大流行したと云われている。蜀山人も同じようなことをしたらしい。また、一説には文政年間に「春木屋」という鰻屋が、大量に鰻の注文を受けて調理に一日では間に合わず、土用の子の日、丑の日、寅の日の三日間に鰻を焼いて保存したところ、丑の日に調理したものが最も味が良く、イタミもなかったので、「鰻は土用の丑の日に限る」となったともいう。色々と講釈を云って来たが、そんなことより栄養価が高く、夏バテ防止に良いとのことから、夏真っ盛りの土用の丑の日に食べるようになったのは、庶民の経験上の知恵がそうさせたのだと思う。

鰻はヤツメウナギほどではないが、ビタミンAの含有量が高い。ビタミンAは「トリ目」に効くとも云われている。そう思って食べると、何か急に精がついて元気になったように思えるから不思議である。(^_^)v

今年の土用丑は7月21日ですぞ!お忘れなきよう・・・