《 メロウ横丁058 》
横町隠居のたわ言  としつる

 メローの皆さんよくぞお出で下さいました。此処は商店ならぬメロー横町の裏に住む としつるの隠居処でございます。
隠居の身なれば売るものも無く、お見せできるモノとて無く、唯超し方を振り返って見ています。

  その昔、父親もその兄弟も上州高崎で製材業を営み、朝の早くから、夜遅くまで山から切り出した木材を丸鋸工場で板や角材に引き、 売り出していました。

やがて時代は支那事変から大東亜戦争にまで発展、企業の疎開という名目での合同で廃業、 子供達は戦争ゴッコで育ったものの、御国も個人も焼き払われ、日本中が食糧も底を尽き、何処ぞの国と同じ芋蔓やら米糠などで ひもじさを抑えていました。 更に外地からの引き揚げ集団ともども働き口も少なく、お国のためのご奉公も全てが国内で犇き あったものでした。

この老生もご同様で今のJR、その昔国鉄という職場に奉職(その頃は有難くてそう思った)し、 それよりこの方、過ぎた7年前までの約55年間を厳しく勤め上げ、その結果お陰様でこのメロー横町の片隅に落ち付くことが 出来た次第です。

曲がりなりにも学校は出ましたが、先輩は戦前アジアのリーダーにと夢を抱いて大陸へ渡り、 北京工専や旅順工大を卆え、満州鉄道で頑張っていた先輩が当然のことながら復員して来たのです。 従って多勢の先輩が我々新前の上に座られました。

卒業して電力会社へ行きたかったのですが、縁故関係優先で駄目、 已む無く入った国鉄で脇目も振らず、唯一筋上司の指示に従って転勤転居を繰り返し過して来た人生でした。 我が生き方にミスは無しとその都度思い直し言い聞かせた結果の現在、出世もなりませんでしたが、お陰で年金を糧に、 パソコンなどと言う有難いモノをお相手に過させて頂いて居ります。

年齢と言い、実力と言い多勢の先輩が メロー倶楽部にもお出でですし、口幅ったい申し訳もせず、今からと考えてもどうなるものでもなさそうですから、 おとなしく皆さんのご指導を仰ぎ、ご迷惑にならぬよう裏の隠居処でキーを叩きながら、時に横町を散歩しつつ民謡を口ずさみ 、空き地でダンスステップを復習し、誘いがあったらテニスラケットも振り回したい気分です。

愚にも付かぬ長口上となりました。どうぞいましばらくこの横町裏にお邪魔させて置いて下さい。 宜しくお願いいたします。

                         
 

                  03.11.07AM;としつる



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メロウ倶楽部会員 会員 058 としつる 作成    

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