@





       
ENGLISH
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
メイン
   実録・個人の昭和史II(戦後復興期から高度経済成長期)
     日本回復期の記憶1
投稿するにはまず登録を

スレッド表示 | 新しいものから 前のトピック | 次のトピック | 下へ
投稿者 スレッド
kozaru
投稿日時: 2008-8-31 11:23
登録日: 2004-3-1
居住地: 千葉県
投稿: 37
日本回復期の記憶1
現役時代の記憶
私たちの駆け出し時代は高度成長が始まる時期でした。メロウの多くの方は同年代でしょう。
その時代、走り使いとして勤めた記憶をUPします。
40年程度たちいろいろなこと、もう時効と考えて書きます。
同種の書き込みの起爆剤になることを願っています。
「三交代勤務」
当時は所定労働時間一週48時間でした。3組3交代で全時間埋めるのですから一人休みを取ると他の二人がその時間を埋めます。公休(昼勤の日曜日に相当)は一人休みますから他の二人は12時間勤務です。年次有給休暇をとっても、病欠しても同様です。補欠する人を考えると簡単には休めません。そのほかに臨時作業もあり組合との時間外協定50時間は限度まで使っていました。これで稼いでいた面もあります。
「技術導入」
この時期は先進国からの技術導入一辺倒の時期でした。
(導入先の指示どおりに)
ある導入で若手達がマイナーな点で「こう変えよう」と数点変更を企画したところ、トップの知るところとなりなり「君たち何だ。最初は向こうの言うとおりにしろ。変えるのは後からだ。」と大目玉を食らいました。運転してみて「変えなくて良かった」というのが多数ですが「変えたほうが良かった」というのもあります。謙虚に教わる事とトップの判断の重要性を知りました。
(一角法と三角法)
図面の書き方に一角法と三角法があり日本は三角法です。技術導入した国は一角法で図面は一角法の図面でした。機密保持で導入図面を外部に出すことはできません。部品図を三角法に書き換え発注しようとしたのですが急遽1ー2カ月の長期出張をすることになりました。出張前に発注しないと帰ってからの工事に間に合いません。急ぐので製図にあまり詳しくない人に一角法の簡略図(20枚くらい)を書いてもらい、各図面に「一角法で描いてあるから注意するように」と註書し口頭でも念を押して発注しました。
帰ってくると発注先の製造所の課長さんが待ち構えていました。三角法で作っていました。各部品ごとに修正して工事に合わせた納入時間を決めなんとか予定通り工事を終えました。
技術導入時三角法で図面を作れと要求はできませんでした。
(言葉の問題)
指導は指導する側の言葉で、というのが原則でありました。指導を受けたときは全て相手国の言葉でした。この時期に先進国で日本の機械を買ってくれるところがあり据付立会いに行きましたが先方で通訳を準備し全ての指示は日本語でとおしました。私たちの周りを色の違うフォァマンコートを着てうろうろする人物がいましたが帰国のとき「彼は原子力関係で東海村に駐在したことがあり日本語は理解できるよ」と告げられました。言葉に対する配慮か、日本人相互の話のチェックかわかりません。
(指導者の受け入れ環境)
ある国の指導を受けるとき受け入れ条件として次のような指示がありました。
現場に専用の部屋を作り施錠でき派遣指導員以外は立ち入れないようにする。部屋には温水のシャワーを取り付けいつでも使えるようにする。部屋に冷たいビールを準備し現場でも飲めるようにする。---でした。
三番目は日本人なら就業規則違反で懲戒解雇の対象になります。彼らは現場で作業しながらビールをラッパ飲みしていましたが、作業が乱れることはありませんでした。
同時期据付立会いに行った先(別の国)ではこちらからが要求しなかったにもかかわらず施錠できる部屋は準備していました。
もちろんビールは無しです。
「突貫工事」
ある技術導入した建設工事で重要な部分が12時間の工事では製品出荷の計画に間に合わないので24時間の工事をすることになりました。作業員は3交代で確保できますが,つききりの現場責任者は2名しかいません。8時---20時---8時の2交代で15日程度続けて完了しました。他の部分の工事も担当しているので8時に交代後、図面の修正、機材の入荷確認、作業指示と現場確認をすると10時すぎの退場になります。勤務時間全部を残業の扱いにはできませんのでタイムカードを押してサービス残業です。
数年前相棒と「今の若い者はあんな仕事しないよ。無理にやらせば労働基準監督署に駆け込むよ」と笑いました。相棒ともども健在で憎まれ口をたたいています。
思い出の一端を書きました。
kozaru
kozaru
投稿日時: 2008-9-4 15:11
登録日: 2004-3-1
居住地: 千葉県
投稿: 37
Re: 日本回復期の記憶1
(インチサイズ)
ハードディスクの取り付けネジはISOネジでなくインチネジです。
これを見ると思い出すことを。
40年前の技術導入時、日本はメートル法でしたが導入元はヤードポンド法のところが大多数でした。
図面も実物もネジ程度ですとたいしたことはないのですが、1.5メートルで50ミクロン程度の精度が必要なものは換算係数も6桁程度は必要ですし、有効数字をどこまでにするか等々手間がかかりました。
早く自前の度量衡で仕事をしたいと強く思ったものです。
(規格)
電動機の規格ですが45年くらい前は、NEMA、BS、DIN、そして日本がJEM(後のJIS)と入り乱れてました。
日本の規格は同出力でも図体が大きかったです。
技術導入したものは現実の取替え、図面の引きなおし共に、シャフト(軸)の高さが高いものは台を削ることができないものもありさらに入れる空間が狭く入らない場合どうしようもなく苦労しました。
冷却を強化したり、材料を変更して特注の電動機を作ってもらったこともあります。なぜだと電動機の設計屋に聞くと次のような答えでした。
お客さんの余裕についての考え方、設計技術、材料の性能とばらつき、が答えと記憶しています。
早く技術が向上し規格も統一してほしいと願ったものです。
今は規格もISOに統一されていますし、日本のほうが同出力でも小型に作れるようです。
kozaru
スレッド表示 | 新しいものから 前のトピック | 次のトピック | トップ

投稿するにはまず登録を