メイン 実録・個人の昭和史I(戦前・戦中・戦後直後) 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを | 投稿するにはまず登録を |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | 下へ |
投稿者 | スレッド |
---|---|
編集者 | 投稿日時: 2016-4-25 7:58 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 41 もちつき
|
編集者 | 投稿日時: 2016-4-26 6:53 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 42 足の裏は象の足のよう
|
編集者 | 投稿日時: 2016-4-27 7:54 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 43 天井はネズミの運動場
|
編集者 | 投稿日時: 2016-4-28 6:56 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 44 富山の薬売りが来た 富山の薬売りが来た 1953年 描き残したい昭和「富山の薬売りが来た」 昭和28年(1953年) 江戸時代、高山藩第二代藩主前田正甫は薬の研究を奨励しました。富山といえば薬。配置販売の元祖、「富山の薬売り」です。半年ごとに家々を巡回してきました。いろいろな種類の薬を紙袋に入れて預けておくのです。この薬は結構重宝しました。急な発熱や腹痛にすぐに使えたのです。大きなかごを背負ってやってきて縁側に腰を下ろして荷をほどき、薬の説明をしてくれます。預けた薬袋の中身を点検して使った薬の代金を支払いました。使った分は新しいもので補充してくれました。世間話もして「はい、ではまた半年」。薬売りといえば宮城まり子の越後の毒消しの歌、「どっけしゃいらんかね」も思い出します。 |
編集者 | 投稿日時: 2016-4-29 8:08 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 45 行水
|
編集者 | 投稿日時: 2016-4-30 6:48 |
登録日: 2004-2-3 居住地: メロウ倶楽部 投稿: 4289 |
「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 46 お産婆さんと妹の出生 お産婆さんと妹の出生 1944年 「描き残したい昭和」戦争のさなか、隣りの八畳間ではお産婆さんが来て、母は出産に備えていた。ふすまを隔ててこちらの六畳間には私たちがいた。お手伝いのおばさんが、たらいにお湯を張って待っていた。兄弟たちはただならない雰囲気を感じて、父親と息を凝らしている。やがて元気な産声が聞こえ赤ちゃんが生まれた。みんなはふすまを開けて熱気あふれた八畳間に駆け込んだ。おばさんはたらいの湯に生まれたばかりの赤ちゃんを浸してガーゼで洗った。戦時中のため粉ミルクはなかった。 母乳も出ない。それで妹妙子は初めからご飯をすりつぶして与えたという。今も妹は胃腸が丈夫だ。やがて戦火は本土に及び一家は市川を脱出し福島へ疎開した。 |
« 1 2 3 4 (5) |
スレッド表示 | 新しいものから | 前のトピック | 次のトピック | トップ |
投稿するにはまず登録を | |